ボーンズ、オートマティック

巨大健造

 そしてとうとう親が動かなくなると、折部おりべ多歌たうたは久しぶりに部屋を出ることになる。

 そのためにはまず三対の脚脚脚脚脚脚のつけ根に空いたくぼみにそれぞれ息を吹きかけて、夜のあいだにうすく積もったほこりを払い、大きな節で折り曲げ、凹部を低くして、そこへ股関節から飛び出た骨球をひとつづつ、体重を押しつけるようにぱきり、ぱきりと嵌めていく。これを六度もこなす。それだけでは終わらない。腕だってまだ短いままだ。作業肢の先に下腕を継ぎ足すようになっているので、細かい仕事がおわって最後に腕を接ぐべきではあった、けれど髪節を植え付けそれなりに見られる姿にまでしたいのに、頭の裏には手が届かない。長いうでの先では力が暴れて、すこし力を入れると長い髪の節を外してしまう。だから後頭蓋に無数にあいた髎部りょうぶを鏡うつしに、支えた髪の根を揃えて支え、虎の子どもが飼い主に頭をこすりつけるようにして偶然のちからを借りながら嵌るのを期待した。
 骨じたくを終えたタウタは體を部屋の幅いっぱいまで引いて、姿見に全身がうつるようにする。もうずっと部屋にいて、ギ肉はきらしていたのだから、すっぴんでいくしかない。買い置きも気密が甘く、どれもみな赤や緑に変色するか、干からびてしまっている。頭の後ろから垂れる先親の遺骨である髪は黒黒と光って美しいものだ。思い出はないけれど、ただ美しいがために、眠るまえには外して、汚れをとりのぞき、油をすりこんでいた。とても大切にしていたのに、その甲斐がかえってむなしい。歯抜けになってみすぼらしい、こすりつけたために乱れ、絡まった髪を閉じた鋏指でなでつけるのにもまるで手応えはない。どうしても嵌まらなかった髪の束を仕舞いながら、また今日もうまく動かないよっつめとむっつめの脚がぷらぷらと腰の高さで遊んで、ついた髪に触れるものだから気が散るのを鏡でも認める。
 ほかの人はもっとかんたんに済むのに、とはもうあまり思わない。
 問題はしたくだけではない。タウタは歩かなくてはいけない。脚のむやみに多くて、定まらない重心は暴れ、なにもないところで躓く、ほんとうに転んでしまうことさえある。前腕ばかりが長い拡張腕で路面を突っ張ると、むりな方向に関節がねじくれて、名前のわからない小さな骨が弾けとぶ。外れた拡張腕を付けなおしてみても、なぜだか可動範囲の途中でいやな引っかかりを感じて、もうそれ以上は動かせなくなってしまう。立ち上がるために遊んでいたあしを地面におろす、ほとんど這いつくばっている、それでも歩かなくてはならない。
 がんばれ! がんばれ! わたしは応援している。骨獣のように這ってそれでも進むタウタのことを、だからみんなも応援してほしい。もうすこしだ。あとすこし、三歩、四歩、ああ、惜しい。そうだ、いけ、いけ!
 タウタは骨のかたまりに戻った親を骰所まで届けなければならない。
 わたしは彼人かれの入り組むばかりで小さかったころを知っている。身の丈を知らず言われるまま骨を選び続けたころを知っている。古骨で膨れあがった巨容で戦場を駆けたころを知っている。
 彼人の前には今、ぽつぽつとすっ立つ建者たてものどうしのひそかな囁きが吹雪に備えて身を固める人々の遠い犇めきの隙間を充たし、獣たちでさえその體に組み込むことをやめた骨々がくまなく地表を埋め尽くしている。とうとう意気を失くして這いつくばったままのタウタはその眼骨の奥からなにか骨以外のものがこみ上げてくるのを感じている。なんだろう、と思考の縁で疑問に思う。すぐ側を骨車がひとつ、路骨を踏みしだいて走り去る。向かう先には、冬に耐えて苔むす墓陵と青山はかば九原はかばとが地平に沿って平たく、ぼんやりと霞んでいるのだから、あすこでは雪が、ひっそりとすておかれた骨を覆いつつあるものと、彼人にもわかる。


   1

 折部゠多歌の生まれたとき、つまり彼人の先親と、後親である六雲むぐもがくんずほぐれつ、お互いの骨と骨とがどこからどこまでお互いであるのかわからなくなるほど絡みあい、ふたりぶんの骨塊が「たたっ、闘う」また、「うう」、「たう」「うう」「歌?」などなど、本人たちの忘我のなかでしか通じない睦言が、いつのまにか命名となって熱い骨々がすこし冷えたときのこと。結局、残ったのはいくらか縮んでしかしまだ自身が自身のままであり、だがすでに後親となったムグモと、後親の一部と先親の大部分の絡んだ動かない骨の山、そしてまだ骨数の少なく、歩く法を知らないタウタであった。
 まだ頭の奥の骨がうまく嵌りきっていないタウタは、先親と同じ小さな〈眼〉骨の一対をぐるぐるとまわし、「カカカカカーーークカ」と宣言した。それは骨を打ち合わせた叫びで、往来で大きな人の上げたなら白眼視されるようなそれは本能的な警戒音にも近く、なんの宣言かは誰にもわからなかったが、その音を出した〈喉〉も〈舌〉も、間違いなく自身の配偶者に由来していることは、ムグモにもわかった。
 ムグモはかつて自身を構成していた骨が、子のどこにどう収まっているのか、眼の前にある小さな骨格をばらばらにして、すみからすみまで検めたくなる衝動を抑えるのにせいいっぱいだった。
 落ち着いて眼をこらすと、タウタの骨数すくない體の表側にもいくらか名残を認めることができた。
 脊椎の連なりは〈貝・尖・腕・円・九・天・糸・式・雲・院〉と読める、それはたしかにムグモたちの骨を伝えるものであり、しかもそこには懐かしい名骨が姓骨となっているのだから、しばらくの間、感じ入ってしまう。
 柔らかく細やかな印象の角骨がひとつ、子の眉間から天にむかっている。〈雲〉骨だ。縮んだ全體を改める。冠状の癒合を貫いて生えていたはずの〈雲〉は四つに減っている。もしかすると、改名しないといけないのかもしれない。
 顎の第四節は明らかにムグモのものだ。自身の歯列が減っていることを確認する。
 先親は髪の多い人だったが、タウタの天辺に髪骨を受け入れる穴は少ない。もしやと思って、短くなった手指で自分の頭をなぜると、黒々とした先親の髪が一房、つるつると流れていることを知る。すこし勿体がないなと思う。
 腰骨の構成はふたりのどちらとも似つかない。幅があり、翼を拡げるような盤にはまだあと五対以上は肢を付けられそうなくぼみが集まっている。
 あしゆびはほとんど全部もっていかれたらしい。ムグモはたまらずギ肉の剥がれてあらっぽい口づけを爪先に捺す。

 接骨院の一枚骨の天井がなだらかにつながった壁をたたく。「終わりました」
 扉が外から開き、産師が頭だけを出して様子をうかがう。「折部さん」そして、てらいなく「終わりましたね、おめでとうございます」と祝いの言葉をのべる。部屋に這入るまで、おなじくらいの高さだった産師の目線がいまでは仰ぎみる位置にあって、途端に骨数のなく小さかった時代を思い出す。
「ここからが本番ですよ」
 そのとおりだ、とムグモはタウタの縫合のないすべらかな後頭を指でさすりながら、静かに頷く。かつて自分がそうであったように、この子もまた大きくなる。どんな仕事にも就けるように、そして優しさを抱える余裕のあるほどまで、大きく強く組んでいかなければならない。
 ムグモは自分のときのことを省みる。三人ぶんの親骨はどれも兄弟で使い果たしてしまった。占有比としては兄のチカヤに分があった、というよりも大きかったチカヤが兄であって、その體ははじめから骨数の多く、強いものだった。そのはずだった。はじめはそうだった。そのまま骨道に運ばれるみたいに、何もかもがうまくいくものではない。
 こんどははじめから雲行きが怪しかった。
 おれは残ってしまった、とムグモはばつのわるい思いをする。
 タウタの先親は、三人以上でと考えていたムグモに対して、「お前とだけだ。そうでなければ組み換えに参加するつもりはない」と強硬に主張し、結果その遺志は果たされたことになる。その様を、ムグモは妄執であるとは思わなかったし、得難い機会であると密かに感謝さえしていたのだったが、それでもこうしてタウタのさいしょの姿を目のあたりにすると、やはり少なくとも自分は生き残るべきでなかったとの思いが頭蓋の中を転がってからからと鳴る。
 ムグモはムグモの構成において、できそうなことはほとんど果たしたと、あとはもう地殻に還り込むか、子にすべてを明け渡すだけであると、ほとんどの親と同様に考えていた。もしおれが残りさえしなければ、タウタはもっと大きいはずだったのに。眼の前の子は、どうかすると標準よりも小さい気がした。人は世代がくだるごとにますます小さく生まれつく傾向にあるというのもただの知識で、大きさが問題でないとしても、幼いという以上の、なにか脆さの印象を拭い去ることは難しかった。
 まあいいさ、とムグモは思う。老骨はまた生まれたときの姿に近づいても、間違いなくうごく。駆動する。神室かむろの奥、〈記〉部も〈憶〉部も、おそらくは今までとおんなじ構成で、ちゃんと機能している。タウタのものになるはずだったおれの部分も、これからその分以上のはたらきをすればいい。

 タウタの言葉がしっかりしてきたのがいつごろだったのかははっきりとしない。彼人はきわめて無口であって、いつも脱力して體を開き、そのままの姿で標本にでもなるのを待っているようでもある。髎部の摺動面はまだまだ緩く、うまく力が伝わらない。
 ムグモは猟師であったので、この元気のない一粒種のために兎を捕まえようと思い立つ。折部は古い骨統だ。一族のほとんどが骨獣を狩り、そこから古骨を除いて得られるいくらかの常用人骨を売ることを日々の生計にしていたと、かつて家に出入りしていた老接骨師の昔語りを思いだし、もしかすると、わななく小骨格をみることで確かに嗣いでいる猟師の骨が奮いたつこともあるだろうと考えた。ムグモはすぐに発ち、䯊かわをひとつ超え、ふたつ超え、平野に出てから日䯑の落ちる前に帰り着く。體のふた周りは小さく縮んで、得物は棺に仕舞っておいた尺骨互換の〈鎌〉一本だけであったが、久方ぶりの狩りは上首尾に終わる。丈の長いギ装外套を脱いだムグモ、そこであらわになった肋檻には、兎二羽がおびえて鼻骨をあちらこちらに差し向けている様子、「どうだろうか、懐かしかったり滾ったりする?」とムグモはこの日の成果を檻の外に放つ。後脚は脱臼させてあるから、いまだ二足歩行のおぼつかないタウタにも、その気さえあればじゅうぶんに追うことのできる獲物のはずであった。
 タウタはあわれな小骨格たちを無色の眼差しで一瞥したのみである。彼人の心を動かすようなことはそこには何もないようだった。ムグモは落胆したが、すぐに気を取り直して、連日のように出かけていった。あいかわらずタウタはほとんど反応らしい反応を寄越しはしない。その一方で、ムグモはまだまだおれも捨てたものではないと、新たな體の身軽さを活かして次から次へと、次第に大物を狩るようになる。蛙や猫、雉や鵺、鰐や鷲、さらには子象を捕らえるにまでいたると、ムグモは有頂天になって、かつての同業者たちに現役復帰を宣言した。
 獲物の骨のうち、特に高く売れる部位を除いてそのほとんどが棺のなか、先親の遺した骨塊のわきにまとめて放置された。ひとまず標準的に、先親の骨をタウタに組み込んもうとする。手足を伸ばす前に胴を拡充する、記憶をたよりに苦労して仕分けた骨の、ひときわ大きな弧を描くものを新たな肋としてためつすがめつして後、不規則に入り組んだタウタの脇腹を開いて手頃な連結骨を嵌めこむ。それは一号凹部二つに、三号球だろうか、大ぶりの凸部がひとつ、分岐していた。タウタのもとから持っていた骨を凹部で閉じると、関節球が頭を出すかたちとなる。さきほどの肋と決めた、おそらくはいつだったか旅行した捻転地殻麓の売店で先親の買った骨(古代人の小指の先であるという(彼人はそれを晴れの日の腰から生やす角としていた))を接ごうとする、と、そのとき思いがけずもタウタが口を開く。
「それやだ」
 ムグモは驚きに打たれる。第一声がそれかと思わなくもなかったが、ともかくも喜ばしいことには変わりない。
「じゃあ、どうしたい?」
 タウタは長いほうの腕の先、二本しかない指で獲物たちの成れの果てをしめす。腹の突起を使って不器用に這い寄り、嘴で探りあてたのは、子象の〈鼻〉である。
「それでいいのかい」
 不器用にうなずいたタウタは喜びの声をあげるでもなく、腰から生やした〈鼻〉を體に巻いて眠る。その寝姿に、ムグモは思う。平穏を見出そうとすればできなくもない。これが続けばどうなるのだろう。先親の骨を拒んだタウタは、骨獣の部分を気ままに組み込んで、ただでさえ繊細な均衡のもとより崩れかけていた體は歩行にも向かなくなる。家の人のように。建者として生きる道もあるのだろうが、まだ学骹がっこうにも通わないうちから行く末が決まってしまうのは、ひどく残酷なことだと思った。
 ムグモにはタウタの望みがどのような完成をみるのかわからない。
 胴の外郭が完成したのなら、小骨を呑ませる時期にもなる。なってしまう。
 はやめに助力を求めるべきだ。

 接骨院の産師であり、また整骨師でもあったロカがはじめて家に来たとき、ムグモは「きのうのきょうなのに、」と声をかける。
「気になってしまったもので」種々の手術肢ではちきれそう鞄をどさり降ろして彼人は言う。「おひさしぶりです。折部さん。それにタウタさんも」
 タウタのうまれたときにはあまり意識しなかったのだが、ムグモはロカの普段着をたっぷり五秒ほど眺めてひとしきり感心する。
 視線に気づいて、「ああ、わかりますか。いいですよ、褒め称えてください」と自慢げなロカは、黒い服で縦に長い骨身を隠し、隠しきれずににゅっと伸びた二本づつの手足、少なくとも露出した箇所の全てに色艶のよいギ肉が念入りに貼り込まれている。肉は頭部をもくまなく覆いつくしている。色違いの肉が輪となって顎に窓をつくり、そこから異様なほど整列した歯が並ぶ。二つだけしかない眼玉めだまには極薄の肉が帳となっている。體のどこにも髎部はみあたらず、ここからなにひとつ足す必要も引く必要もないと静かに、しかし断然と主張しているようだった。
「ここまで」とムグモ。「ここまで聖者のみ姿に肉薄したひとがいるとは」
「まあ、たいしたことはないです。モデルさんはもっとすごいですよ」
「や、でもすごい。接骨師は美人さんがなるものと知ってはいても、いや、親になってわかる。説得力がありますこれは」
 握手を求めた彼人の手指だけは、聖六肉のギ肉彫像でみるのとは違っていた。拇指がふたつある六本指だ。ムグモが質そうとすると、その六本指に制される。その過剰の印象は、つねにどこかへ手を振っているようにもみえた。
「わたしの體のことはもういいでしょう。きょう、これからの主人公はタウタさんですから」
 そう言ってタウタに向かいあうロカの、ギ肉でいっぱいの顔がぐにゃりと歪む。骨の駆動に連なって顔側面が上方へ、また正中線に沿って下方に引き寄せられている、その運動をなんと呼ぶのだったか、ムグモは思い出そうとしても果たされない。

 そうして、タウタの體はすこしずつでも均衡を得ていった。
 ロカの手腕はたしかなものであり、不ぞろいだった體幹の混み入りは不要な接続が切り離され、新たな骨とともに組み直されるにつれて可動域はずいぶんと改善される。まだ立つことはかなわいタウタでもしかし、親に言われて、床の上で胴を曲げるお辞儀ができるようにまでなる。最初のいく度かはロカの手つきを不安げに見つめていたムグモもいまでは、毎回の施術終わりを骨片麺麭コッペンパンを焼いて待つほどには安心して、任せきっている。

「折部さんのご両親はあなたのときに」ご健在でしたか、とロカは訊く。
「つかい果たしました。おれと兄とで」
「チカヤさんのことですね」
「ああ、ご存知で。いつもありがとう」
「どういたしまして。二世前は」
「後親がひとり」
「大きくはなかったですか」
「大きかった、とても」六腕の巨人に頭を鷲掴まれた記憶が浮かび上がる。彼人はいくにんもの子を成して長いあいだ衰えず、髑髏王より直々に賜ったという色とりどりの勲章骨で胸元を輝かせた邑の英雄だった。それもずいぶん昔にその構成骨すべてを子孫に譲り渡した。そのうちのひとつを、ムグモは胸の奥に納めて、それは姓の一字にもなっている。
「昔の人はそうですね。あなたも知るように。人は世代を経るごとに小さくなっていると。でも違うんですよ、折部さん。じつを言えば、骨数が減っている。構成の効率が向上しているんです」
 そう聞いたムグモは驚きを隠せない。
「まあ、われわれは整えているだけです。一から人を組み上げられるのなら、組み換えなんてする必要はないですからね」
 ムグモの頭の奥が軋む。パンを半分残して食べるこの子の、タウタのさらに子どもは、そのまた子どもはどうなるのだろう。受継ぐ骨を減じていく未来のかれらの、その果は。最高効率に達した骨たちは、やがて言葉をなくし、記憶をなくし、ついには骨獣とかわらない姿で大地を這い回る。からころと、最後の骨が骨輪ひとつで地平の向こうへ消えていく。それとともに沈みゆく陽骨もまた、子孫を増やし、ひとまわりもふたまわりも小さくなった星々もいずれは軋む力もなく、熱と光はこの地から逃げ去っていく。

 ムグモの空想的な悲観に反して、タウタの體はさらに充実していく。接合のゆるかった全身は緊密になる、顔面の四半に鏤められた四重眼にも、知性のきらめきが宿りはじめたようにもみえる。空隙の多かった胴を骨片が埋めてゆき、ロカは彼人にも手足を接ぐ時期がきたことを報せる。
「どうぶつ」とタウタはロカにねだる。「猿、蟹、麒麟、火喰鳥」
 言葉はずいぶんとしっかりしてきているようだった。学骹に通わせるようになる前に、作業肢くらいはあつかえるようにさせなくては、とムグモは焦る。いまのタウタには腕とは名ばかりの、肩から伸びる一本と、手首から直接生えた二本の指があるだけだ。
「親の骨じゃいやか」先親の遺した骨をこばむタウタに、ムグモはしようのないもどかしさをおぼえる。手脚になりそうな骨はどれも形がよく、もうすこし頭が若かったのなら、自分がもらいたいくらいだと思ったが、この年にもなって幻肢に悩まされるというのも若作りという気がしてはばかられるのだった。
「タウタさんはほんとうにどうぶつが好きなんですね」ロカは膝の上に乗せたタウタをひょいと片手で鷲掴んで宙に置く。着けっぱなしの第三腕が緞帳のように図鑑を垂らしている。「では、行ってみましょうか」
「どこへ」とムグモ。
「前から行ってみようって、ねえ、タウタさん」
 うなずき返したタウタを、ロカはムグモと背中合わせに、鞄から取り出した無髄骨で繋げる。「好きなものがあるのだったら、それは大事にしないと」
「ロカさんは来ないの」とムグモ。
「遠慮しておきます、わたしが行くとややこしいことになりそうですし。それに、タウタさんの親はわたしじゃないですよ、折部さん。もうそろそろ行かなきゃ」
「どこへ?」
「次の迷い子のところへ。これでも予約がいっぱいなんです!」
 そう言って、ロカは腕を大きな鞄に仕舞い込み、その伸びやかな一歩が遠ざかっていく。

 それからというもの、タウタは新しい習慣、それも唯一の習慣としてどうぶつえんへ通うようになる。タウタはムグモの背中から骨檻の向こうを穴が開くほどに眺め、飽きると小さな腕でムグモの髪束を引っぱり移動の意向を伝える。檻の格子で角を手入れするほかは微動だにしない兎、丸太骨の遊具に齧りついて歯を雪のように床へと撒き散らす鮫、馬の骨にはどこもかしこも泥がついてみすぼらしい。鷲の二重反転回羽骨プロペラがびりびりと檻を震わせても係留骨が軛となって飛翔を妨げ、海月と題された水槽にはたゆたう泡以外に何も見つけることができない。
 ほとんどのどうぶつは、人が世代を経るたび捨てていった骨でできてる。
 おれたち猟師はそうした骨獣のうち人に害為すものをふんじばったり、ばらしたり。
 ムグモはまだ字の読めないタウタに、かんたんな解説をしたり、これらのうちいくらかは自分の捕縛したものであると言って、捕えたときの自慢話をしてみたものだが、タウタはうんともすんとも、反応らしい反応を返すことがない。どの檻の前でも同じだけたっぷりと時間をかけ、園内をくまなくみてまわりたいらしく、退屈しきっているというふうでもないようだが、ほかの子のような歓声を上げたり、好奇心に身を乗り出したりするようなこともない、ほんとうに自分でねだったのかと、感動を心から體に伝える骨の接続がおかしくなっているのではないかと思い、だからムグモはわが子がいったいどんな骨相で獣たちを見つめるものか、気になってしかたがなかった。
 ある日のどうぶつえんで、檻人のひとりが彼等の頭上から声をかけてくる。
「さいきんよくみるね」彼人が頭から放射状に伸ばすその肋骨で囲いこんでいるのは、虎だ。
「ええ、意外と楽しくて」虎の檻の前で、ムグモが振り向いた。
 つい先程までとぐろを巻いた尾骨に身を横たえていた虎は、何か気がかりがあるようなふうで、のそりのそりと足音もなく近づいてくる。足裏にギ肉が張り付いているのだ。幅広の肩が大げさに動いて、平べったい頭が下がると、虎はごく細い触角の節々を檻骨のすき間から差し伸べてくる。原野での獰猛さを今なお色濃く奔出させるその三眼に、狩人としてのムグモはすこし、ひるむ。美しい虎だ。
「君には言ってない。後ろのその子、ねえ名前はなんての」
 ムグモは再び振り向いて、タウタと檻人の目線が合うようにする。「折部といいます」
「だから君には聞いてないよ。そこの小さな人に」
「多歌」とタウタ。
「どれがいちばん好き?」
 ムグモは小声でささやきかける。「虎、と言いなさい」
「こらそこ、入れ知恵しない」
「えあ、ごめんなさい」
「で?」
「虎」
「ほんとに?」
「ほんとう」
「はは、それはうれしいね。みんな不気味がるもんだから。でもね、僕にはどうしても他人という気がしないんだ。僕はこうして檻に、建者たてものになったわけだけど、この子たちみたいに、際限のない接骨を重ね虎に変ずる未来もあり得たのだから」
 タウタは聞いているのかいないのか、しきりに眼の前の虎へと、棒きれのような腕を差し出しているばかりだ。それも虎がぷいとそっぽを向いてしまうまでのこと。後ろ姿からでもわかる、人用骨の範囲を逸脱した骨ばかりで髑髏王の巨城のように黒々と盛り上がった影は、獲物に飢えた〈餃〉骨がそこかしこにだらりと開き、また屹立する〈獨〉骨が孤高を示し、〈尸〉骨の連なった尾部がわずかに揺れて再会を約すようにもみえた。

 学骹へ通うようになるまでに、タウタについた脚はひとつだけだ。かろうじて膝と足首が動くだけの代物で、骨盤のうちいちばん内寄りの、しかしわずかに重心を外れた位置に接いだそれを、作業肢にもなっていない短い腕で引きずるようにして這った。ロカは「だいじょうぶでしょ」と確約を与え、当のタウタも不平ひとつもらすことがない。
 タウタは生来の不活発をのぞけば、素直で、裏表のない、扱いやすい子だ。ムグモが覚えるのは不安だけでない、きっと友だちだってたくさんできるはずさと信じて送り出す。初日に正午まで、近所の公園に身を横たえていたと知ったのはその日の月が出てからのことだった。
「ごめんよ」とムグモはわが子を抱きかかえる。
「お陽さまが、ぢぢぢぢと鳴っていた」タウタは伏し目がちにつぶやく。
「そうか」
 陽の地上にもっとも近づくとき、星がその熱と光を生む軋り声を聴くことがある。タウタはそれを、たったひとりで聴いていたのだ。
 つぎの日から、同じ大家さんの店子である巨青おおあおさんの家の子に、タウタを連れて行ってもらうことになる。巨青゠ニエちゃんは、タウタの生まれたころ、戦火を逃れて小さな親二人といっしょにこの二系領へ移り住んだ。まだ五系軍との押し合いへし合いが激しくなる以前のことだった。彼等はみな第五系骨らしく赤い骨が肩や肢を囲って、外套のなくても快適そうにみえた。あのロカほどではないにせよ、ニエちゃんはその骨数でほぼ完璧な二足歩行をして、顔にはギ肉さえ貼り込まれている。聞けば、すでに二人の親の骨を一人で使い果たしつつあるという。ニエちゃんはあくる日からも毎日、タウタを牽いて登下骹する。ムグモは、二人が会話しているところをみたことがない。
 日中、マイナス二十度ほどのうららかな日、ムグモは尋ねてみる。
「いつもありがとう。その、タウタはよくやっているの?」
「彼人、勉強のデキはいいですよ」
「そうなのか、タウタ」
 タウタは恥ずかしそうにして、押し黙っている。
「最初のうちは、あたしが代筆してんたんですけどね、いまではすっかり、あたしのほうが教えてもらったりしてるんですよ。ね」

 ムグモは家を空けることが多くなり、その代わりにロカが居つくようになる。
 ムグモはこのころ、ますます力を取り戻して、溢れんばかりの元気を仕事に注いでいる。ロカを雇い続けるための蓄えは底を尽きかけていたし、なによりふた周りも小さくなった體で歩く世界はほんとうの若者のように新鮮であった。もしかすると自分には寿命がないのではないかと錯覚するほどには胸が希望ではち切れそうだった、それをわが子とうまく共有できないことだけがもどかしい。
「でも動かなくなる、いずれ必ず停止する。死からは逃れられない」ロカはタウタの作業肢に新しい骨を試金しながら、独り言のように言う。「けっこういるんだよ、子を成したあと一瞬だけすごい元気になって。でもちがう。確実に骨の癒合は進むし、清新なように感じられた視界もまたすぐに色あせてしまう、結局は骨の、不自由な組み合わせの結果でしかない、聖六肉より賜ったわたしたちの骨々は破壊不能でも、いずれ大事な部分が摩滅してしまう」
 タウタは腰から無数の節を介して伸びる新しい手の五本指を開き、閉じる。
「ま、世界初心者のあなたにはまだ関係ないか。ほら、タウタさんの希望どおり。象みたいで格好いいでしょう」
 タウタは長らく無用の長物であった腰の〈鼻〉が、まるではじめからそうであったかのように感じたが、試しに先親の棺を開けようと手をかけてみても、思うようにはいかない。
「ま、あとは訓練ですよ。訓練。何でもそう。最初はぜんぜんだめでも、少しずつ良くしていける。どうする? わたしみたいになりたいのなら、他の手もはやくから練習しとかないと」
 タウタは静かに首を振るだけだ。
「わかりますよ、わたしには。すくなくとも、わたしにだけは。人の形なんて、決められるべきものではないからね」
 彼人は生まれてはじめて、身の回りのものの位置を好きに動かせるようになったことそれ自体に戸惑っているようだった。
 次の朝、ニエちゃんはいつもどおりにタウタの〈鼻〉を索具代わりに掴もうとする。
「お、いいねそれ」感想するニエちゃんは自分の肩から生えた手を手に合わせて握り返されるのを待ち、やがて肩を落とすと、明るく「ちゃんと練習してよね」とタウタを励ました。

 ある日、ムグモは学骹から帰ってきたタウタを出迎えると、そこにはニエちゃんだけでない、いつもは教室と繋がって境目もわからないほどの先生が、緊急用の歩行體で付き添っている。先生は球状の巨大な骨輪を、無数の小さな肢で転がして動く。急いで来たのか、怒気のせいであるのか、遊んでいる小肢をせわしなくひくつかせている。
 後者寄りかな、と直感したムグモは、「わざわざおいでくださって……その、すみません。うちの子が」と飛び出し気味に謝罪をする。
「折部さん、わたしたちはまあだ、なあーにも言ってませんよおー」と先生はよく通る声に妙な節をつけて、まるで唄うようにたしなめる。
「いや、まあそれは」
「先にいー、お子さんに訊くべきではーないでしょうかあー」
「おっしゃるとおりで……」ムグモは四つの眼と眼をわが子と合わせる。「タウタ、いったいなにをしたんだ」
 タウタは答えない。ふてくされているというふうでもなく、ただ怯えているようであった。
 ニエちゃんが口を開こうとするので、ムグモは一度振り返り、大家さんに声をかけて扉を開けさせる。「立ち話もなんですな、どうぞお入りください」
 ニエちゃんは黙ったままタウタを抱きかかえて、そそくさと中に這入る。
 先生はがつがつと戸の枠に體をぶつけ、その度に屋上から大家さんの口が絶叫する。「死ぬ! 死ぬ!」大家さんにはすこし大げさなところがあった。
「だめでーすねー。外してくださーいますかあー」と先生が諦めを口にすると、タウタを置いてきたニエちゃんが急いで戻り、ばきばきと先生の骨輪と胴の接続を手荒に外していく。「気はきくのにねーえ」と先生はニエちゃんを中途半端に褒めるのだが、ニエちゃんは硬い一瞥をくれただけだ。
 四人が集まり、ムグモが水を向ける。「ニエちゃん?」
「ニエさーん?」と重ねて先生。
 ニエちゃんはカカとひとつ舌打ちをする。「タウタはなにもしてないよ。いつもどおり、あたしがぼんこつどもをボコボコにしただけ」
「とおー、ニエさんは言うんですけどねー。わたしたちが聞いたお話とはちょーっとちがいますねー。もっと詳しくおねがーいしまーす」
「だから、砂頭と針山と根岸がいつもみたいに合體して、タウタの新しい腕を千切ろうとしたの。『おやあ、人の敵が、』『また骨数を増やしやがって』『こちらも本気を出さねばならんようだな』とか言って、『『『これが絆の力だ、グハハハハ』』』とか言ってさ。あいつら、親戚どうしだからってちっちゃいころから繋がってる。気持ち悪い。もうほとんど頭の中身もおんなじなの。気っ持ち悪い。それで、もちろんタウタは逃げられない。心配だからあたし、ちょっと無理して後頭にも眼玉増やしといたの。でも気づくのがちょっと遅かった。ほんとうならやつらのやけに長い『変形合體中……』のうちに手足を捥げたはずなのに、ていうか先生は何してたのさ」
「午睡でぇーす。続きをー」
「さすがのあたしでもさ、完成してしまった複主體を腕力だけでどうにかできるとは思ってない。けどまあいろいろ頑張って、いつもどおり外装骨ぜんぶ剥いでおしまい」
「え、じゃあタウタはただの被害者では」とムグモ。
「ニエさーん、わかりやすい嘘はやめてくださーい。最後が雑すぎでーすよ」
「嘘じゃない。午睡? 先生は例の陰骨ばかり生やした房で……」
「まあまあ、まあまあまあまあ、それで、なにかその、証拠? みたいなものはあるんですか、あれでしたら有髄接続してもいいですが」
「いいえー。それにはおよびませーん。ほらっ、これをー」
 先生が取り出したいくつかの骨は、小さい人用外骨であるようだったが、よく眼を凝らせばそれが〈广〉や〈廴〉、〈壬〉骨であるとわかる。その縁は荒れて、髎部もなく、力ずくでへし折られたようにもみえる。
「砂頭くんの丹田近くにある姓骨のひとつ、だったものです。わかりますか? 不壊の賜り物を、こんな。わかっているんですか? これではまるで人が、草木のような、そんな滅びを運命づけられた存在のようではないですか。いくら折部といっても、それを人に向けるだなんて、一体どういう教育をしているんです? 砂頭くんが、砂頭くんの骨統があまりに不憫ですよ!」
 先生はいつしか唄うことをやめ、タウタの面前でまくしたてる。
 ムグモはしばらくのあいだ、言葉を失いうつむいていたのだが、とうとう抑えきれないといったふうに體を静かに震わせて、ついに両手をかこぽこぽこぽこと打ち鳴らすまでになる。
「ムグモさん?」とニエちゃんはその異様にただならぬものを感じて一歩下がり、下がりつつ矮躯の老狩人を質す。「なに?」
「おめでとうタウタ! これでおまえも真正の折部だ! おめでとう!」
 めでたい、めでたい、とうわ言のようにつぶやくムグモは頭蓋を掻きむしり、残っていた〈雲〉と〈雲〉と〈雲〉と〈雲〉を付随する細かな骨片とともに掲げ上げる。「さあ、タウタ。受け取っておくれ」
 タウタはおずおずとうなずき、鼻手を伸ばす。しかし、まだ手のうまく動かないタウタはすべてのムグモの名骨を取りこぼしてしまう、
「タウタあんたは」とニエちゃんは顔のギ肉をめいいっぱいに強張らせている。「あんたはこれからどうすんの」

 学骹を退学するときにはもう、タウタはひとりでも歩けるようになっている。すでに十七齢となっていた。
 長い長い登下骹の道のりは、髄の枯れて軽く、小さな骨の平原で、タウタの小さな趾が〈ハ〉を蹴り飛ばし、〈ネ〉にかけたつま先が沈みこむ。もう誰も、どうぶつたちでさえ使わなくなって久しい骨々は、無主でもときおりひとりでに繋がって、動きを生む、するとその動きが波となり、堰を切って流れ出すこともある。ロカが前々から組んでおいたという、横一列に並んだ四本脚は緩やかな流れの䯊川に掬われることもなく、なめらかにタウタを運ぶ。股下の骨輪を回すだけで、そこから複雑に繋がった無髄の枝骨が力を伝えて進んでいく。
「いまのタウタさんにはこれで限界かな。あと前後進しかできないからがんばって」とロカの説明したとおり、盛り上がった丘を迂回するのにも、鼻手を地につけて方向を転じる必要があったが、タウタは倦まず弛まず、正確に進むべき道を進む。タウタに選べるような道はなかった。進めるだけありがたいと、そう思ったかもしれない。ロカは彼人に道を示したのだった。「よかったね。学骹とか、どうせ嫌だったでしょう。タウタさん、これからあなたには前線へ行ってもらいます。それでね、贈り物があるの。このときのためにわたしが組んだ、特別製の。そんな手脚が足手まといにしか思えないほど、ずっと大きくて強い、美しい體。あなたの練習してきた、〈折〉の力を引き出す最高の體です。ぜひ戦地で試金してほしいの。タウタさんはどうも、自信が足りないみたいだけれど、ぜんぜんそんなことない。なりたかった姿で、力を振るうのはきっと楽しいはず」
 事務処理を終えたあと、すぐに帰路へついたので、まだ陽骨は低い位置を這い上がっていく途上、見上げるタウタはいつかの日、陽の鳴き声にじっと耳を澄ましていたことを思い出したかもしれない。
「バカだねー」あんた、とニエちゃんは別れ際に言った。「もうちょっとがんばってさ、あたしのせいにすればよかったのに」
 タウタは彼人にたいして、なんと応えればいいのかわからなかった。
「勿体がない、もうちょっとで卒業だったってのに」と聖者によく似た體躯の同級生は、さも残念そうにして、脚のぶんだけ高くなったタウタの肩をたたいた。「折部ってそういう骨統だったんだね、あんたも結構やるじゃん。訓練、の成果?」
 タウタは後ろめたさを隠せないまま、ひとつうなずき返した。
「あたしは反対だけどね。絶対。こんな形で、あたしの故郷を踏んでほしくなかった。綺麗な場所だったの。液体の水が流れててね、家は骨じゃなくて大きな木の硬い繊維を伐り倒したのでできてる。暖かくて、ギ肉が喜んでいた、あのころはずっと。液水ってすごくうるさくて、朝はぴょろぴょろぴちゃぴちゃいう音で起こされた。花って見たことある? にえって名前の遠い由来だよ。むせるような花粉の匂いって嗅いだことある? 骨ではない小さな黒い生き物が勝手に増えて、寝台から這い出してくるの、彼等は弱くて踏んだだけで壊れちゃうから、つねに気をつけながらゆっくり動かないといけない。そこではなんだか、あたしらみたいのなんて場違いなんだって思う。だから強い體なんてそんなもの、これっぽっちも必要ない、骨なんてもの、最初からなければよかったとさえ思うんだほんとうは」

 ムグモはあれから狩りに出かけることもなく、部屋へ引きこもることが増え、大半の時間は先親の収まった棺の前でかつかつとなにごとかをつぶやき続けている。
 だがこの日は違い、快活な声音でタウタを迎える。「兄さんがお祝いにきてくれたよ」
 紹介された伯親はムグモには似ても似つかない。タウタは脚を外して座り、しげしげと伯親の姿を平板に見つめている。どうかすると、タウタによりよく似ているその縦にひょろ長い姿はしかし、全盛期のムグモの體格を暗に伝えるもののようでもある。それでも伯親が伯親らしいと言えるところ、その胴には虫食いの木の葉のような、麺麭の泡立つ断面のようなすき間がいくつも空いて、部屋向こうの一枚骨を透かしているのをみていると、ふいに話しかけられたタウタはその穴から声がしているものとさえ思う。
「お誕生日おめでとう」と伯親。
「タウタの誕生日はまだだよ兄さん」とムグモ。
「ちがうちがう、まだ生まれたばかりなんだよね。すこし待って」
「ああ、そういうことか。そういえばさいきんは、」言いかけて「兄さん、さっきからなにを」
「コココココッ」伯親は腕をつっ込んだ縦長に裂ける喉奥で咳をすると、氷を半分溶かしたような丸い〈◯〉骨をむりむりと吐き出して、タウタの前に置く。「贈るよ。昔、ロカにつくってもらったんだ。きれいだろ。どこにも髎がなくて、つるつる」
「どうかな。タウタはあんまり」骨とも呼べないような、どこにもなににも繋がらない無用の骨を前にして、ムグモはささやかな皮肉を感じ取ったのだが、兄は事情をよく知らないだけなんだと思い直し、「いや、ありがとう」と礼を言う。タウタは〈◯〉をそっとひと撫ですると、もう興味を失ったように天井から伸びる大家さんの索骨に体重を預けて、それからはひたりと静止してしまう。伯親は伯親で、タウタそっくりの仕草でうなずき、これで用は済んだかというように、澄ました顔を揺らしながら、天井を透かした視線の向こうになかなか訪れない月の姿をとらえている。
「さいきんは、調子がいいんだよね」ムグモが切り出した。
「ん、ああ。絶好調だよ」ぼくはいつでも絶好調さ、と伯親はすこし億劫そうに応え、ちらりと弟を見遣る。「ムグモは元気そうだ」
「うん。そうなんだ。なんてたって、お祝いなんだから」
「誕生日?」
「違う。言っておいたじゃないか、タウタの出征祝いだよ。このまますぐ発つ予定なんだ」
「へえ、格好いいね」
「ロカさんがね、斡旋してくれたんだ。いつも忙しそうだし、顔がひろいらしい」
「へえ」それで、と伯親はなにかを思い出し、「そうだ、クアマさんも元気かい」
「忘れたの兄さん。あいつの一部はこの子のなかにある」
「ああ、そうだったかもしれないな。ムグモが言うんならそうだな。うん、きっとそうだ。いいな。ずるいな。気持ちよかったかい?」
「なんのこと?」
 ムグモはびっくりして小骨を吹き出してしまう。すこしばかり大きくなったとは言っても、子どもの前で聞かせる話ではなかった。
「ムグモばっかりずるいよ。ねえタウタ、この人はね、ずっと昔からこうなんだ」
 伯親は三脚をすっと伸ばし、やにわに立ち上がると壁骨を剥がし始める。
「うおー、ぼくも恋したい! 素敵な恋! 素敵な恋うおー!!」「やめてよ兄さん……やめっ、やめて」
「恋! 恋! 恋うおーっ!」「やめろ馬鹿! やめるんだチカヤ、今すぐ!」
 ムグモはいきりたって兄を捕らえようとする。しかしチカヤはするりと避けて、剥がした壁から外へ身を乗り出すと、またたくまに屋上へと登り、音量をさらに増して叫び続ける。獣を前にするように狩人ムグモは飛びかると、チカヤ伯親は応戦の構えを見せる。「なつかしいねムグモ!」二人はもみくちゃになりながら、かたや欲望を叫び、かたや罵詈雑言を散らかしている。ついでに大家さんも叫ぶ「死ね! 死ね!」「恋!」「馬鹿。阿呆。もう、ぜんぜん具合悪いじゃないか」
 ムグモの尾骶に秘められた陰骨に伯親の顎がかり、もう二度とは起動しなくとも、ムグモはとっさに兄を蹴り飛ばす。地面に迎えられた伯親は大小の骨々を撒き散らしながら、ほとんど冗談みたいにごろごろと転がっていった。落下の終着点で、チカヤ伯親は體の各所を開けっぴろげに倒れ、やがてうつ伏せになって黙り込み、一方で疲労困憊のムグモは屋體骨に手をつくと、そこにはなかば埋もれた大家さんの扁平な頭蓋が、嬉しそうにこちらをじっとりと見つめている。暇を持て余す彼人は、大多数の建者と同様に、店子の醜聞が大好物だった。
「一体どうしたってのよ」「チカヤは頭がおかしいんだ。せっかく〈折〉を継いだっていうのに、罰当たりにも自分の骨ばかり折って、しまいには神室までぼりぼりと菓子みたいに」「ふふ、でも、格好よかった。元気ねあなたたち」「あ、どうも」
 タウタは脚を履くのに手間取っていた。二人のように壁をよじ登ることはできそうになかったので、玄関を出て転がる伯親のところへ急ぐというとき、眼の前にロカが現れる。「どうせこんなことだろうと思いました」当惑するタウタを牽いて、つかつかと突き進むロカの姿ははじめて会ったころから変わっていない、丈のある全身にギ肉を塗りんで、顔が声音に合わせてぐねぐねと動く、頭からすっぽりとかぶった夜色の外套が雪から肉を守っている。向かう先のチカヤ伯親は、雪の斑に残った苔台の樹骨に、恐るべきはやさでてっぺんの枝台まで登ってしまう。灰緑の苔に腰掛けて猿のようだとタウタは思う。伯親の木のように高い體躯にあいた穴からは、粉のような骨片が微小関節を脱臼させてもろもろと飛び出している。
「降りてこいチカヤ!」ムグモは家の屋上から兄に目線を合わせて呼びかける。
「ムグモは頭がおかしいんだ。ぼくをあんなところに閉じ込めて、自分だけいい思いしてさ。例の骨も取られちゃった。まあ、ぼくには要らないものだけれど、ムグモには大切だったみたい」伯親は小さいがよく澄んだ声を空へ、まるで空が肩を組み合う親友であるかのように語りかける。ムグモには聞こえていない。
「降りてこいぼんこつめ!」ムグモはまだ諦めていない。
 タウタを片腕で抱きかかえたロカは膨らませた胸を反り、大声でこのように言う。「降りてこないと、遊んであげませんよ」
 その一言で、チカヤ伯親は栄養が空っぽになったように背中からバランスを崩して落下する。路骨もなにも舗装されていないむき出しの骨原にがちゃりと體を横たえる、そうしているうち、なにか重大な気がかりを思い出したふうで、タウタを招く。
「いっしょに遊ぼう。きみはふだん、なにで遊んでいるの」
 タウタは首を振る。どうぶつえんに行ったりすることはあると、でも楽しいかどうかはよくわからないと、不思議とこの人になら正直に言うことができた。
「じゃあ、いいことを教えてあげよるよ。ちょっと手伝ってもらおうかな」
 チカヤ伯親はまずあたりに散らばった骨を見回すと、半分繋がったまま腰元に投げ出された〈朝〉を、かろうじて動く作業肢でつまみ、タウタに頼んで接続を外してもらう。もうほとんど脱臼しかかっていたので、タウタにもかんたんなことだった。〈朝〉は地面の砂骨を少し掘らせたところへ置き、それから伯親は寝返りをうって、背中の下敷きにしていた〈寒〉骨を取ってもらうと、さきほど選んだ〈朝〉を上にして、下にウ部を接がせる。タウタは苦労して力をこめると、どちらの骨からかはわからない、ぱちぃんと小気味のよい快音があり、ふたつはひとつの〈朝・寒〉になる、そしてチカヤは下腹の穴から〈生〉骨を取り出して、すこし考えてから、自らの大きく開いた胸殻の奥から、〈動〉を引きちぎってくる。「タウタ、そのへんの砂骨をここに」。タウタは言われたとおりに、砂をひとつずつ伏せたる人の眼前に運ぶ、「次」、「次」、「これ」、「次」。チカヤは目配せをして、上体を起こしてもらう。「ははは、さっき取っちゃって動けないや」。縦長に掘ったくぼみに選んだ砂を放り込み、こんどは長いあいだ考え込む、すると〈舌〉をずるずると引き伸ばして砂山から器用に〈ヤ〉を拾い、〈朝・寒〉の下に置く。タウタがつなげて、〈朝・寒・ヤ〉となり、つづいて〈生〉、同様にして〈キ〉、〈ル〉を、骨ひとつぶんの空白をあけたところへ〈ヲ〉と、律動をつづける〈動〉、さらに〈カ〉、〈サ〉、〈ズ〉を運ばせる。ここまででき上がったのは、〈朝・寒・ヤ・生・キ・ル〉と〈ヲ・動・カ・サ・ズ〉という骨紐ふたつだ。再び砂山を舌で味わうようにまさぐるチカヤ伯親はふと動きを止めて、タウタに〈タ〉を探してくるように言う。タウタがあちこちで砂をかき分けてみても、なかなか望まれた骨は見つからない。ので、タウタは髪を横に流して、自分の額の〈雲〉のひとつを抜き去ると、どこだったかなと指の感触を頼りにしてギ肉の層に潜った〈多〉を、〈折〉でへし折る。手元に生じた二つの〈夕〉のうちひとつを、〈タ〉ということにする。「いいのかい。大事なものだろ」とチカヤ。「いい、べつに」とタウタは答える。もう指示がなくてもわかる。〈朝寒ヤ生キタル〉。タウタは首をひねる。これが〈ヲ動カサズ〉とどうつながるのだろう? 「贈ったやつ」チカヤは困っているタウタに手がかりを与える。タウタは急いで家に戻り、〈◯〉を取ってくると、伯親は言う。「ぼくが思うに、本来の呼び名は〈骨〉なんだ、それは。いちばん純粋だから」タウタは最後のひとつ、〈◯〉を嵌め込む。その瞬間、ただの骨紐が、神室もないのに息をして、動きだすような気がした。
 朝寒や生きたる骨を動かさず。
 タウタとチカヤの声が重なって、ふたりは顔を見合わせる。「これはね、タウタ。うただよ。そしてきみの継いだ〈折〉は、この遊びにこそふさわしい恋ね。恋! 恋! 恋! すてきな恋!」
 再び叫び始めたチカヤを、ロカの呼びつけた接骨師たちがどこからともなく取り囲んでいく。ロカはため息まじりにことりとつぶやいた。「ほんとうに仕方がない人たちですね」
「折ってやる! 折ってやる!」ムグモは視界の外から呪詛の言葉を吐いている。
 そしてまた、陽骨が見えない腕に引かれて地平を回り込んで、月が雪を運びつつある長い夜、静寂が誰も使わなくなった骨々に降り積もっていった。
「でも、雪は好きだな」
 そして誰も彼もがその場を去ってから、声に出してみるタウタは、もうすこしここにいてもいいと、生まれてはじめて思う。




 それから三度の冬がめぐり、タウタは故郷へと帰り着く。
 骨車の幌から這い出したタウタを出迎えるのはニエちゃんだ。
 あんなに機敏だったムグモは、近ごろは脚を思うように動かせない、だからニエちゃんはその遣いだった。ニエちゃんはまた一回り大きく、ますます聖者に近づくようで、顔の真ん中にはギ肉が山脈のように盛り上がってさえいる。
 タウタの姿はこの三年あまりでずいぶんと見違えていた。
 ニエちゃんはとりあえずは生還したタウタめがけて飛びかかり、喜びの言葉をかけると、タウタの象のように大柄でも軽い體がよろめいた。
 タウタのいないあいだに、ムグモは往年の元気をすっかり失っているようだった。名も體のとおり、読みは同じでも無雲と改めた。タウタをひと目見たムグモは飛び上がらんばかりに喜んだ。それはほんとうに尋常でない喜びようだった。タウタの肩のうちひとつには、埋められた鈍色の勲章骨が輝きを放つからだ。ムグモは武勇譚をせがんだが、子は黙して語らず、日がな一日その肥大した體を天井から吊り下げて動くことはない。
 タウタは虎になっていた。誰に聞いても、その姿は虎だと言うだろう。ロカの作った無髄骨ばかりのかんたんな四脚は取り払われ、〈冊〉骨の連なる履帯が無限軌道をなしている。この河馬のように平べったい下半身からは、引き伸ばされたようにひょろ長い胴が三つ縦並びに生えて、持ち前のものがどれなのかも判然としない。頭も胴それぞれにひとつずつ三つがふらふらと揺れて、それを五対かける三、数えて三十本の腕のうち何本かずつが支えている。任を解かれたタウタに、〈甲〉骨はなく、訓練のあいだじゅう後生大事に握りしめていたはずの〈銃〉骨や〈餃〉骨、〈撓〉骨もない。腕の制御のために追加された二つの頭蓋には猿の神室が収まっていたのだが、タウタは猿たちのみる夢をみて、午睡から目覚めたときには、わけがわからなくなっていることも多かった。タウタはその獰猛で鈍重な、戦闘用の骨格を持て余しているようだった。近所の接骨師は「過剰な接骨だ。こんなものは見たことがない。それに一体どうしたことだろう、まるでこうなることを見越して、成立年代の古い構成にも細かく手が入っているようにも見える」と匙骨を投げ、とりあえずは休養が必要だとも言った。戦場で均衡を失った體が馴染んでくるまでの辛抱ということだったが、その年の終わりまでタウタはいっこうに快くならかった。分厚い雲が低空に蓋をするような日には、とくに體調がすぐれなかった。戦地での陰惨な記憶を思い出すのか、獣のものとしか思えない低い唸り声をあげることもあった。ニエちゃんは足しげく家を訪れて、甲斐甲斐しく世話をやいたり、なにか気晴らしを、たとえばどうぶつえんに誘ったりしてくれた。タウタは首首首を振るばかりだ。虎をみたければ、自分の姿をかえりみればいいとでも言うようだった。タウタはまるで意思や欲求を司る骨を失くしてしまったかのように思われた。
 何年かをそうして天井にぶらさがりつづけたタウタをみて、ムグモは「おまえはおかしくなってるんだ」と言いたかったが、しかしすでに手脚のみならず〈舌〉さえも動かすことができない。神室を構成する微細骨の髎部は癒合しきって、これを組み換えによって初期化するというのは、記憶の消去を意味している。子どもをつくることとは、忘れることだった。先親は、九天クアマはすべてを忘れ去り、いまではタウタという名の虎となっている。ムグモにとり、甲斐性のない虎は獣と変わりがなかった。ムグモは折部であり、猟師だった。そうであるからには、虎を狩り、折部としての責務を果たさなければならないと思う。虎になった者のその構成を、世界から完全に抹消しなくてはと決意してしかし、〈折〉は虎当人が握っている。折部゠六雲あらため無雲は悔しく思う。思った次の瞬間にはもう忘れ、勲章をぶらさげて帰郷したタウタにたいして誇らしい気持ちでいっぱいにもなった。あれだけ頑健だったムグモも、ついに體の芯を燃やし尽くし吹き出た煙のなかで無明と混乱とに身を預けることになったからだ。このようにしてムグモの正気が摩滅していったことを、タウタは知っているのだろうか。
 タウタははかのことにはすこしも執着せず、砂骨と自分の骨でいくつもの骨紐をこしらえるばかりだった。あの日、タウタの、生涯でも唯一と言っていい、わがままで接いだ〈鼻〉から花開くような指、その中心で〈折〉はタウタ自身の骨を折って、なんの役も果たさない骨の残骸で遊ぶ。タウタは骨紐づくりにばかり心血を注いだ。心底楽しそうというわけでもなかった。ただ、無為にも飽きはじめたに過ぎないのかもしれず、ただそれだけのために世界は骨の総量を減らし、また自身の體も痩せ細り、穴が空いていった。少しずつ體の形を変えたタウタには、数多の障害をものともせずに踏みしだき、乗り越えたはずの無限軌道はすでにない。猿の頭もあらかた折ってしまった。それらはすべて長短さまざまな骨紐となり、タウタのそばで大家さんの腹の内側から無数に垂れ下がって雨となる。ニエちゃんはやはり甲斐甲斐しく友だちのために黙って砂山を運び、部屋の有りさまは次第に屋外にも似て拡がる無用骨の平原となり、丘となり、䯊川となり、天井ちかくに浮かぶ大小の〈◯〉は月の贋作で、それらすべてがニエちゃんの際限のない寛容を示していた。タウタはそこで溺れているようだった。そして事実、タウタは溺れているのだった。
 とうとうムグモが完全に動きを止め、それが四十九日間続くと、タウタは骰所に出向かなくてはならなくなる。チカヤ伯親と同じ場所へ葬ることになっていた。タウタにはあまりにつらく、厳しい旅路であり、帰り着くころにはまたいくらか體の構成が変わっている。もはや虎とも言いがたい姿だった。だんだんとタウタは短気になっていき、また落ち着きをうしなっていく日、彼人は空虚だった。タウタの人生は空虚だった。タウタは骨の髄までまったく空虚そのものだった。待ち望んでいたはずの雪が降り出すのをみても、言いしれぬ疲れは全身を覆い、すべての関節を埋めていった。ニエちゃんの来訪もいつからかすっかりと止んで、大家さんによる生存確認の呼びかけのほかは、無音の時間がただ過ぎ去るばかりだった。

「そうしていると、髑髏王そっくりですね」
 ふいに訪れたロカをみて、タウタははじめ聖者がお迎えに来てくれたのだと勘違いしてしまう。
 ロカとは出征のとき以来で、出会ってからは二十年以上が経っていた。すでに骨の範疇からは大きく逸して、見るほどに姿も形もますます聖者そのものと言っていいほどだ。頭の天辺から流れる髪など、節もなく極細であって若い木の葉を覆う毛のようだった。また彼人はもはや外套を着ておらず、かつてその下に隠れていた身をも覆いつくすギ肉は貼ったもののようには見えない。それはもはや偽りでも、擬きでも、義理でさえないかのようだった。タウタはその姿をみて、なんだかやけに胸が痛んでしまう。
「あらあら、せっかく作ってあげたのに、こんなにしてしまっては」。ロカの均整のとれた腕の第二大関節から先までが肉ごとばくりと裂けて、枝のような四本となる。「いいでしょ、完成しても、これだけは残すことを許されたんです」。タウタは成すがままだ。「ごめんね、苦しかったでしょう。もっと見てあげたかったんだけど、わたし、とても忙しかったの」。タウタの頭蓋が正確な手つきで開かれていく、彼人は急に耐え難い眠気を覚えてそのまま、夢へと繋がっていく。タウタはいつだって施術の時間が好きだった。雲に乗って漂うような時間、體をまるごと委ねてしかし、自分は何をしなくとも何かの着実によくなっていくのは、なんだかずるをしているようで楽しかった。このままずっと、いつまでもと、夢でも思う。その夢のなかでタウタは全身の骨が散り散りばらばらに、無辺の虚空に撒かれていることを発見し、また現実ではばらして並べられたタウタの骨がまたもとの形に組み戻される途中、〈月〉骨と〈凶〉骨がいかにも誘うすき間に、〈覚〉骨が下半身を折りたたんできれいに収まると、彼人はロカの細くて長くて強い六本指がついさっきまで見ていた體の四散する夢の続きに収拾をつけてくれているのだと覚る。
 施術が終わるとタウタの體は軽く、湿った雪のようだった気分はずいぶんとよくなっている。いつもそうだった。
 ロカは腕をたたんでまた繋ぎ目のない肉の鞘に収めると、部屋のぐるりを見渡して、「いいお部屋。この星を切り取ってきたみたい。ここで何を?」と訊く。
「世界を壊して、うたに換えていた」とタウタ。
「なるほど。なぜ?」
「ニエちゃんが」
「ああ、そういうあれ」ロカは額の肉に深い皺を刻んで悶えている。「んーっ、折部のひとって、どうしてこう。あなたまで徒骨むだぼねに終わるとは……。まあいいや、タウタさん、」とロカ。
「ロカさん」タウタが遮る。
「はい、ロカさんですよ」
「一体何を」
「うん。ねえ、新しい體は欲しくない? それじゃあ不便でしょう? 今度のはすごいよ、どんな虎より巨きくて、強くて、素晴らしい、まっさらな體」
「ロカさんが何を言っているのか、」わからないよ、とタウタは首を振る。
「ほら、髑髏譜、」あなたも学骹で読んだでしょう、とロカは言って、長い腕を伸ばして手近な〈◯〉骨をタウタの頭上からもぎ取った。「髑髏王が六人に分割されてもいなかった頃、この地を闊歩していた黎明期、王はそのあぎとで星を貪り、骨を新造し、あらゆる骨を噛み砕き、舌で舐め上げるとたちどころにそれらは月となって輝いた」昔、真似事をしてみたんです、とロカは空いたほうの手指が砂骨を浚い、六本の指が斉しく力をこめるとその中には新たな〈◯〉がつるりと光る。「この骨を、わたしは〈月〉と呼びました。このわたしや、折部の代々継いできた〈炉〉や〈折〉は、破壊不能であるはずの骨を加工できる数少ない手段です。この地に薄く撒かれた六大髑髏王の破片たるわれわれ人の骨は、今では二千と数百種を数えるのみとなりました。それを遥かに超える古骨を未だ多数貯留しているあの月を、わたしは手に入れたい。両腕に分解ソルウェ結合コアグラを。月を〈折〉によって分解し、〈炉〉により溶かし合わせ、わたしはついに骨の宿命を更新しようというのです。そうして、すべての骨は一度、降着時の原初骸卵にまで還元され、やがて世界は巨大なひとつの虎、いいえ、竜として孵化することでしょう」
「ロカさんが何を言っているのか、ひとつもわからないんだ」
「お願いはこれだけ」言って、ロカはタウタの前に跪き、だらりと垂れ下がった〈折〉の鼻腕を手にとった。「折部゠貝尖腕円九天糸式雲院゠多歌さん、わたしと番ってくれますか?」

 じゃ、次会うまでにお返事を。そう言いおいてロカはまた去っていく。。
 彼人の施術はやはりたしかなものであって、均衡を取り戻し、ふたたび自らの肢で動けるようにまでなると彼人は散歩から始めることにした。生まれてから換えたことのない幅広の骨盤に、ありあわせの脚を六本も接いで、動くさまは這っているのだか転がっているのだかわからない。背中からは半壊した猿の脊柱が触角のように飛び出して建者を引っ掻いた。地面に獅噛みつく前脚を、短く折った〈髪〉がびっしりと埋めて、薄く積もった雪を跳ねのける。タウタの行動範囲は少しずつ拡がって、半日かけて台形に盛り上がった集合墓陵まで歩き、しかし折部の墓には近寄らず、街に戻ってどうぶつえんに寄ると、何をみるでもなく日が落ちるまで長椅子に身を横たえる。
 それが新しい日課となってしばらく経ったある日、呼ぶ声のする方角には変わり果てたニエちゃんの姿がある。いつからそこにいたのかと問うタウタ、「すこし前に就職したの。気づいてくれるかなって、黙ってたんだけど」と檻人となったニエちゃんは返す。タウタはなにも答えられなかった。かわりに、ロカに求められたことを話してみた。「そう。それで、あんたはなんて?」「たぶん、親とおなじ、これが欲しいんだ」「じゃあ丁度よかった。おいでタウタ」。タウタは身を起こし、子どもと同じくらいの目線、ニエちゃんの樹状に伸びて大地に突き刺さった肋のかずかずを眼にし、また彼人の抱く空洞にはどんなどうぶつもまだ容れられてはいないことに気づく。「あんたもここに棲めばいい。話はついてる」。ニエちゃんの決意は固いようだった。
 彼人はぴしぱきと骨の籠を緩めて招き、タウタはのそりと薄暗くなったその中に這入ってまた身を横たえる。陽のまだ登りきらないごく浅い時間には、ニエちゃんと一緒に食餌を摂る、昼ごろには親子連れが檻の前でうろうろとする、ニエちゃんは誰にも分け隔てなく、タウタの成した武勇を想像たくましく話して聞かせた。第五髑髏王軍の擁する非道な虎部隊に、我が身を顧みず、虎にやつして潜入し、大混乱を与え、敵勢を赤道直下の不凍帯より北へと退けた英雄、ということになったタウタはいつの間にかどうぶつえんの看板にもなって、人気のなくなった夜には檻人どうしの小声で編まれた伝言網が数々の質問を寄越すのを無視して睡り込んだ。このように単調な生活は、まったくタウタの性に合っているようだった。
 ムグモの背に繋がって練り歩いたころを、おぼろげながらに思い出すこともあった。ここではなおさらそうだった。大事な気がかりを思い出したタウタは、ニエちゃんに伝言を頼む。それは昔、いちばん好きだった虎のひとと、その檻のことだ。あれからもうずいぶんと経つ。彼等は元気なのだろうか。ここにいるのだろうか。誰か何か知っているのなら、教えてほしいと。ささやかな期待を胸にそろそろ睡ろうかという、その夜おそくのことだった。どうぶつえん全体がにわかに騒がしくなり、見れば黒い地平は蠢いている。月明かりが煌々と、身じろぎする闇を詳らかにする、それらはどうぶつの一群であることが誰の眼にも明らかだった。兎が跳ねる、撞木鮫は甲高い響きを上げ、蛇喰鷲が穿孔器で地形を変える、蛇は骨紐に還るよう、麒麟が犀を積み上げる、猿は頭と尻を合わせてひと連なりになる。
 どうぶつが寄り集まっていく。文字通りに地平を埋めつくした彼らは、互いが互いを喰らうように渦を巻いて、丘をなし、いつのまにかに塔となって天を貫いていく。逆転した氷柱のように伸びる骨塔の基部では、大挙して押し寄せるどうぶつたちが幾重にも折り重なり、ひとつの巨きな骨となりつつあるようだった。
「ロカ」とタウタは言う。タウタも気づいたのだ、骨塔の突端が伸長するそばから、ロカの腕が内蔵する〈炉〉が舐めあげ、ひとつに溶かし合わせていることに。
 次の日から、どうぶつえんはしばらく休園になる。街ひとつがどうぶつえんと同じになったからだ。どうぶつたちの行列は昼も夜もなく続き、葬列のようにも見える。それが一月ほど続いてまた同じ月が昇った夜、ひとりの虎が群れからはぐれて、ニエちゃんの側に身を伏せた。「どうしたのかな、このひと」
 タウタはその虎に見覚えがあるような気もする。彼人はぴろぴろぴろと鳴き声を上げ、それから人のするような空咳をひとつ、コカカカと発すると、こう言った。
「タウタさんの思い出のひと、斫尾はつりおさんのことですね。この子ももけっこういい線までいったんだけど、結局は人語と正気を失ってしまった」
 一月前の答え合わせはロカの伝言によるものらしかった。
「あのやくざな接骨師」ニエちゃんが猛り、タウタを抱く檻骨がばらばらになりそうなほどに震えている。「何してんの」
 虎はまた口を開く。「これは彼らの、いいえ、わたしたち自己建造自律建機構成群の本来的な使用法です。まあ、聖者たちは己の大望のためにわたしたちを消費しましたが。「前線を思い出しましたか? みなあなたが大事な部分を折り砕いた、あなたのご同輩です。滅や破、割、壊、融、砕、炸、裂、爆、斫、潰、嚼、崩などといった古代解骨法の使い手、その候補だった方たちです。まあ、最終勝利者チャンピオンはわたしのタウタさんでしたけどね」。声の遠ざかる気配があって、たっぷり三秒ほどの沈黙が訪れる。「はいはい。おとなしくしてないと遊んであげませんよ。それで、」とロカの声を伝える虎。「タウタさん、今日はお返事をいただきたいんです。ニエさん、あなたも参加しますか。タウタさんさえよければ、わたしはかまわないけれど」
「あ、あたしは」
「いや、やっぱいいや。ごめんなさい。あなたの苦しみには興味がないの」くっくっくと笑い声が虎の口から漏れ聞こえる。「というかこれ、録音だし」
「気持ち悪い」きっとニエちゃんは、あのロカの肉でいっぱいの顔がぐにゃりと歪む、眼玉の上に被さった半月形の肉蓋の両端に皺が集まる様を想像したに違いなかった。そのさまは骨の駆動だけでない、肉そのものが張り詰めるようで、それは容易に思い浮かんだのだとも思われた。それもそのはず、二人の顔ほど似ているものはないからだ。
「ああ、これは『笑顔』という。わたしはすでに完成しているので。ニエさんの骨統でも、あと何世代かしたらできるようになると思っていたけれど、檻ではむりか。うらやましい」
「何を言ってるんだこの老骨は。それに、番ったその成果はどうあれおまえ自身ではないんじゃないの」
「えーと、そうですね、ご心配にはおよびません。それは折部の體で実証済みです、ねえ、クアマさん。長い間ご苦労さまでした。今、その任を解きますね」
 わたしは気持ちの上だけでも、天を仰ぎ見る。タウタ、タウタ、わたしのタウタ。迷い子タウタ。どうぶつの好きなタウタ。虎になったタウタ。虎でさえなくなったタウタ。うたをつくるタウタ。わたしはタウタのことなら何でも知っているけれど、タウタには届かない。
「とっちらかってないか?」とニエちゃん。「おまえ何者なの」
「ここはわたしの世界です」炉果は笑顔のうえに笑顔を重ねて名乗る。「わたしは第二系髑髏王付特別整骨官、炉果
 ということになっていましたが、晴れてお役御免なんです。遠大な計画はこれで終わったのです。まあ、その首謀者たる肉たちはもうとっくにいませんけどね。内紛のすえに分割しすぎた髑髏王の體が星を覆うにつれて、上昇した反射能アルベドはこの地を冷やし、液体の水を端から凍りつかせ、さらにまた寒冷化しゆく環境に適応できずに彼らの肉統は絶えてしまいした。それに、いまの髑髏王もみな、小さな核だけを残して、この事業を管理する骨器にすぎません。
 さあ見なさい、この姿を。あ、見えないか。思い出せ! そう、これが六大髑髏王の悲願。聖者たちの策定した仕様を満たし、聖遺物である真肉を下賜されるまでになった、この形。これこそが虚しさ。おかしいとは思わなかった? なぜ腐り物などよりはるかに強いわれわれが、この形を目指すのか。起伏の少ないこの地では輪歩のほうがいいとは? 腕だって少なすぎる、なぜ全周視野でないのか、体軸だってそう。それに何より、言葉だって。口は必要? 開闢爾来、たった数万年という猛烈な速さで探索された骨の順列組み合わせの果に、このわたしは掘り当てられた。もちろんそれにはありとあらゆる誘導の手管が使われました。長くはない寿命、社会的な圧力、適度な闘争、といったところです。不滅の骨と真空適応の肉。わたしこそは最高の人間、ということになってしかし、あまりに浮かばれない捨てられた骨たち。なんてつまらない。つまらないうえに酷すぎる。この星はひとつのばかでかいどうぶつえんとなり、墓にもなってしまった。これが償却になるかはわからないけれど、今度こそは、無垢なる結合法を望みます。
 タウタさん、わたしは待っているから、いつでもわたしを救いに来て」
 虎はもう炉果の言葉を伝えない。最後にぼそりと一言、彼は彼自身の言葉で「行け」と、それはたしかにタウタへ向けられたものだった。タウタは呼応して、ひとつうなずき返す。

 そしてニエちゃんの囲う檻を乗り越えたタウタはわたしを引き抜くだろう。わたしはタウタから脱臼するだろう。タウタはわたしの姓をも取り出すだろう。わたしはこれからのできごとを知ることはないが、それでもわたしにはよくわかる。なぜならタウタはひとつの構想を練っていたからだ。それにはロカの首が必要でもあった。それはチカヤへの手向けであり、タウタの虚空に一筋伸びる骨紐になるはずだ。そはわたしのうたでもあるし、ニエちゃんのうたでもあって、そして何より、ロカさんにと。わたしの見る最後の景色、月の完璧な表面上、チカヤたちの眠る凍りついた星を眼下に眺めて、このような骨紐が垂れることになっている。

 〈青・山・不・拒・タウタ・月〉
 〈ロカの首・九・原・月・在・天〉

「〈折〉を折って、巨青と組み合わせる、ぼくは凡骨なので、庸人と読める、〈月〉はそのまま月で、あとは恨み言を言うロカの首、そして先親の名前があればいい」とタウタは説明して、

 青山不拒庸人骨
 回首九原月在天

 ということらしいけれど、すこし無理があるように思えて、ロカの眼が射すくめるタウタの奥でわたしは密かに笑ってしまう。





主要参考作品

 夏目漱石『思い出すことなど』
 A.E.コッパード『幼子は迷いけり』、西崎憲 訳