したをかむ

巨大健造

反省文 鏡谷(2)小学校 6年1組 タタ沢ロク

 ぼくはたくさんのいけないことをしたので、それを反省しようと思います。

 だが、最初に断っておくべきだろう。もし先生がこれを読んでいるのなら、ぼくは本当に取り返しのつかないことを、本当に反省すべきことを成し果ててしまった後なんだってことを。

 冬休みに携帯を買ってもらって最初にしたことは、彼人に連絡をとることだった。もちろん、こんなことは大したこととは思わない。友だちも、その親きょうだいだって、みんなこっそりやっている。春の顔合わせのとき、ぼくらは示し合わせたのだった。久しぶりに見る(1)の体つきはぼく同様骨張って、急激に伸びた骨格にうすい皮と脂肪の層を貼り付けている。(2)の親戚たちが会うたび吐くあの台詞と、同じことをぼくは言って、ぼく(1)はふっと笑う。「相変わらず」「相変わらず」ちがいは語尾の音高だけだ。クラス合同の顔合わせは(1)で行われた。ピカピカの校舎、天井の高い教室に、ぴったり倍の人数が押し込まれる。六十人ぶんの「おそるおそる」や、あるいは問わず語りの念力みたいなものが充ち充ちて、異様な熱気のさなかでぼくは気がへんになりそうだったのを憶えている。6年1組(1)の生徒たちはみな一様に盛装で、見知った顔顔のはずでもアップル製品のような輝きを帯びていた。かんじんのぼく(1)はといえば、これはもう嫌になるくらいのおめかしで、キヌだろうか、ネコの白い胸毛よりも白い中華風の礼服に、耳たぶから逆さになったスギの樹みたいな黒い飾りが妖しい水墨画だった。
「ごめんね、こんなのしかなくて」とぼく(2)。冬の間に一番上の伯父(2)が死んで、その時に用意してもらった間に合わせの真っ黒なブレザーと短パンだった。「やー、きりっとして見えるよ。コナンくんみたい?」と(1)。そう言って、(1)はひかる机の上に身を乗り出し、「あのうるさいのがいなくなって、せいせいする」と、ぼくの耳を覆う口がささやいた。向こうの伯父はもう、街にはいられない。「そう」とぼく。近い顔から同じ体臭、つまり無臭でも、かえって服の清潔な香りだとか、高価いシャンプーなんかが匂い立つ。(1)のぼくは波にような退き際に、ぼくの耳に触れる。それはぼくのくせだ。(1)のジャミラ先生が、塩を載せた皿を手にして突っ立っていた。いつのまにか、(2)のひとはぼくだけになっている、ぼくは逃げ出すように学校を出て、川を越え、闇へと帰る。戦後に呼び方が変わっても、鏡谷は良い方と悪い方、光と闇だ。夕暮れ時にだけは、湿って底冷えする(2)に西日がうすく差し込み、ぼくは一人になって、先んじてとけるような夜を得た(1)の斜面に沿った街並みに目をこらす。耳たぶに触れると、光による熱がわだかまっていた。すると上着からはらりと、ノートの切れ端が堕ちる。あの時、上着の襟元に仕込まれたのだ。ぼくは笑う。文面を確かめる必要はなかった。きっと同じものを、ぼくは(1)の机に置き忘れてきたのだった。
 短くはない季節のどこかで、ぼくは精通したはずだ。どこかの季節で、すでにはちきれんばかりに青々と実っていたぼくは、想像をいたずらにかき立てるいかなる図像をも必要とはしなかった。鏡があれば、それでよかったから。
 どこか。少なくとも夏の終わりまでに、それは生じたことのはずで、修学旅行で「そーいう話」になったときにも、ぼくはウソを吐く。ぼくは「ハセガワさんかな」と言う。ほう、という感想。「(1)の」ぼくはきっぱりと付け足す。ほーん、それはインモラルだね、との高評を頂く。学年ではそれがちょっとした流行語になった。ハセガワさんはいつも小声でしゃべる、ピアノのうまいひとで、隠れファンも多い。いかにもぼくらしいシュミで、われながらいい嘘だったなと思う。それからしばらく、ぼくはインモラル大臣というポストを歴任することと相成った。
1:ああ、たしかにハセガワさんはいいとこだよね 伝えておくよ
2:冗談じゃない (1)ではどんなウソ吐くはめに?
1:ひひ、ヒミーツ
2:(1)に住んでると性格が悪くなるらしい
1:そっちでも秘密をつくればよい
 ぼくたちはお互いのアカウントを見つけ合い、時間の許すかぎりを雑談で埋めた。川を隔てた鏡写しの街はあまりに遠く、キョリを量で埋めようとしているみたいだった。ぼく同士で会話するのは変な感じだった。先生、憶えてますか。ほら、小説を書いてみようっていう国語の授業で、ぼくは会話文だけで原稿用紙三枚の空白を埋め立てたこと。あれによく似るものだ。先生は「ギ曲だね」と評して、であれば、とぼくは思う。あとは実演あるのみだった。
 密会の場所は常に問題だった。大通りや商業施設ではあまりに目立つ。その頃のぼくらは双子なんです、と言い張る勇気もなかった。持続可能な手段が要請された。市街へ電車やバスを使って抜ける方法は早々に議論から外された。結局、川上へ川上へと、県境の大きな川がその身を別けてぼくらを断じるその起点に、時間差とルート違いで集合する。(1)の自転車はサス付きの黒い大きなマウンテンバイクでうらやましい。(1)も去年までは使っていたはずの古い自転車を堤の柵に立てかけて、ぼくらは並んであるく。ひどく寒かった。カモガヤや、スズメノカタビラその他名前の分からないイネ科が、平べったい河川敷にそれぞれ枯れかけて、粗密な塊を成していた。「あ」と言ったとき、ぼくも「あ」と言う。「ま」「ま」。「dっ」「dっ」以下同様、何度か発声の頭がかち合って、ぼくらはもう、何も言う必要を感じなくなって黙り込む。通じ合っているだとか、そんなものではあり得ない。ひどく寒い。ぼくはその時、右手だったのか、左手だったのか。いずれにせよ繋がり合う冷え切った手と手が、対称性を破る。ぼくはぼくの薬指の側面、三年生のときに三角刀でえぐり取って白くしこりのように癒えた傷跡をなぞる。全く同じ箇所に傷があるのが不思議だった。不思議ではない。そうだ、ぼくは左側だった。それが決定的なものとなったのだ。(1)でも(2)でもないシロサギが、(1)のほう、川中のごく小さな島から飛び立って、(2)のぼくは左手側の市街地の方へと去っていく大きな鳥の黒くてしゅっと畳まれた脚を見送っていたからだ。それが妙に悲しくて、口をだらしなく開けていたからだ。(1)が(2)にキスをしたのは。(1)の舌が(2)の歯茎をなでたのは。(2)が(1)の舌を噛んだのは。ぼくらがぼくらの唾液の味を確かめ合ったのは。「無味だ」と、どちらかが言った。
 冬休みが終わってすぐに、初々しい口唇期は終わる。もとよりぼくはぼくだ。いかなるもどかしさも、ためらいの段階もなかった。それは徹底的なものだった。それに、総合的なものでもある。徹底的で総合的な学習の時間は、多目的トイレの目的に新しくもないひとつを付け加える形で行われた。ぼくらは地図をつくることにしたのだった。ぼくはぼくのうすい背中の坂を舌で降りていく。産毛にも塩味にも濃淡のスポットがあった。死角に黒子を発見するたび、ぼくはぼくがその在処を分かるようにつねり上げる。洗濯板のような痩せた肋骨に、剥けきれていない亀頭を押し当て、一息に引きむしる。声を上げたのはどちらだったろうか。尻と腿の皮が乾いたよだれでぱりぱりに引きつった。そこだけ冷たいのか熱いのか分からなかった。
「何本?」とぼく。ぼくはぼくのペニスを頬張ったまま、恐るべき集中力でもって、生え揃わない陰毛を数え続けていた。「死にそうなんだ、早くして」ぼくは屈んで、陰毛を数えるぼくの睫毛を数えるふりをする。精液の味なんて、ちょっと固めの痰と変わらない。小さな精嚢のどこからそんな量の液が生じるものか、帰るときにはいつもお腹がいっぱいになった。上からも、下からもいっぱいにした。し合った。食事の量が減った。母親(2)に「外でおやつ食べすぎんなよ」とたしなめられる。怪我も増えた。多目的トイレは臥寝の設備というわけではない。様々な角度で壁に取り付けられた取っ手を器用に使う必要があった。ぼくはぼくの半分とろけた腸に突っ込んだまま、取っ手の助けを借りてぼくをおぶさり、おぶさられ、ぼくはぼくのフリーな分身を両手でめちゃくちゃにする。すると、ぴうぴうと放ちつつ、仰け反ったぼくのせいでぼくはぼくの一番奥に全部を吐き出しながら頭を下に転がり落ちてしまう。ぼくはぼくの上で、ぼくはぼくの下で、けらけらと笑い合った。濃厚接触、という言葉をニュースで聞くようになって、ぼくらはげらげら笑い合った。ぼくらは無敵だった。全員死ねばいいと思った。「来年は」とぼく(2)「どうなるんだろうね」「さあね」「校舎がさ、川はさんですぐだから、やりようも増える」とぼく(2)。「何を言ってんの。ぼくは私学だよ」「え、どこの」「中央。言ってなかったっけ」言ってないし聞いてない。(2)は(1)を遠慮なく殴りつける。「しばらく顔見せんな」
 それからすぐに学校は一斉休業になって、ぼくは各々の家に閉じ込められる。ぼくは親たちが買い物に出る間、闇の鏡谷の闇の家の闇の部屋に籠もり、姿見の前でひたすら自涜に励んだ。舌を突き出す、写った舌につと触れても、ただひやりとするばかりだった。最大のタブーは、と思いつきを、ぼくはぼくに送る。「最大のタブーは?」「殺人?」「でもなくその前」「自死、あるいは、」「自食」「の最小構成として」「自分の舌を噛みちぎること」
 これを書いてそのまま、(1)のほうぼうに送りつける、きみを留め置く、そうすることもできるんだと思うと、本当に、信じられないほど、気持ちがいいんだ。