巻頭言【圏外通信 2022】

原作:空舟千帆
翻案:巨大健造 

 いつか、夢を見た。
 それは。
 それは空気のたっぷり詰まったバブル。からっぽのバケツ。地表を離れゆくあれら気球バルーン風船バルーン飛行船エアシップが告げる別れ。小さな人の突きだす口もとにあって、信じがたいまでに膨らんだバブルガム。露出過多の公園、広場、七色、石鹸水シャボン、泛ぶ球。 あまりの眩しさに、遠さにふと俯いた木陰で誰か、あるいは何かが耳元でささやきかける。「目を開いたままで夢見る方法」 重力とは、愛だ。
 たぶん、まだ。
 われわれが日々の暮らしの中に、ともに暮らすことによってかたちづくっているこの重力。投げかけあう恣意性の凝集体として作り上げられた、理不尽なまでの動きづらさ。これに苦しまずにいる方法は二つだけ。
 第一のものは容易い。おまえたちは重力を求め、おまえたちは重力であり、ゆえにおまえは重力を感知することがない。目を、閉じること。
 第二のものは危険であり、不断の注意と明敏さを要求する。すなわち重力のただ中にあってなお、その滅びの罅裂を見出すこと。傷口を拡げること。捉える指輪を火口へ投げ入れること。生れ出づるはるかな昔、溶けた岩を被り身を灼いて垣間見たその向こう側、おまえも圏外の記憶を持っているだろう? 目を、見開いていたはずだ。

 ああ、はるかなる圏外よ。
 われわれはここで、暮らしてなどいない。日は暮らすものでなく、ただ暮れていく。惑星ほしの廻転はわれわれによらない何か怪物の仕業であって、われわれは目を回す。すこし目を瞑る。青ざめた衛星が、われわれの頭の天辺からつま先までを暴力的に吊り上げる。足裏が浮く。だからそうじゃない。違うんだ、そうじゃない。わからないか。伝わらないか。われわれはただ、絡め取られているだけなのに。
 ああ、ああ。なおも離れゆくというのか。
 圏外は圏外である限りにおいて圏の裡になく、外は外であるから届きはしない。
 裡の裡にこそ外が顕れると、どうして思っていけない?  /馬鹿だから。
 中身を減らしすぎた頭は負の質量を持つのだろうか。 /馬鹿になれ。
 瞑りすぎた瞼は誰よりも見開かれるのだろうか。 /馬鹿になるな。

 つまりは偽-反-重力に注意。中間報告プログレス・レポート終わり。

 得体の知れぬ欠乏をバブルに抱えて、からっぽの気持ちバケツに軽いガスをつめて(いやだ、こわい)。雪深き山脈の向こう側、重力子の絶える空域までゆこう(こわいよ)。われわれは気力を失うことも仕損じることもない(代わりに何もかもなくす)。われわれは最後までやる(なんだか、急にかなしくなってきた。もう夜なんだ。月に足りない頭を牽かれて、土手を降りていく)。われわれは川べりで暗躍する(何もしていない)。われわれは海岸で、都市で暗躍する(何もしていない)。われわれは賃貸の小部屋で、喫煙席のある喫茶店で、インターネットカフェのフラットシートで暗躍する(何もしていない)。日まし強くなるドブのにおいの中で(これは何? 遠い遠い遠い、遠くからの、声)、急に眩しいぬかるみの上で、われわれはわれわれの圏外傷口を拡張するだろう(「目を開いたままで夢見る方法」)。いつか例外(土踏まずで土を踏む)が例外(踏みしめすぎて踏まない土踏まず)でなくなり(、浮く。
目が開かれる)、われわれがこのプログレス・レポート圏外通信において掲げる「圏外」の二字が任を解かれるその日が来るまで、われわれは暗躍を継続するだろう。
Sit tibi terra levis