おいしいはかいしのそだてかた

巨大健造


   1

 墓石の旬は盛夏のころ、ボン・フェスティバルの時期にあたる。
 墓に収められたひとの滋養だか功徳だか業だかを吸いとりたわわに実る墓石は、早い場合で三年、遅くとも十年ほどで食べ頃を迎え、二十年を超えたあたりで著しく味が落ちるというのも、娑婆に残された人々の記憶とその忘却に関わるとされる。

 今年のボンは叔母の三回忌で、ひどく暑い夏だった。
 菩提寺の墓地にはローポリゴン・モデルのような石の角柱が堵列し、元気よく蠢いていた。やはり矩形の天辺に水を遣ると、墓はつかの間の水分をよろこぶのだったが、すぐに石肌は熱い湯気を吐き、陽光が乾いた表面をじりじりと焦がしていく。そこに漂うのは線香だけでない香気であって、わたしの上のお口はすでによだれで溢れきっている。
 それは隣のイトコ1と2も同様で、わたしたちは何かインビな感じで頷き合うのだった。

 わりあいに古く大きなイエにあって、その子どもらは大抵、墓石好きに育つ。それは年中大叔父だか大伯母やら爺さんのヨメの子供の嫁ぎ相手だとか誰かしらが永久とわの旅路に就いては加熱処理を受けて灰になるからで、われわれ子どもらにとってはいい迷惑だった。面倒だからなるべく死なないでほしいというのが残酷な本心であると同時に、それはそれで文字通りに美味しい思いができるものと知ったのはいつだったか。
 はじめては確か、ずっと寝たきりだったという曾祖母が死に、迎えた七回忌で供された墓石だったはずだ。漆塗りの大きな菓子盆に載せられたそれは、石造りの外殻からは想像もできないほどの弾力に富み、深い真紅色にかがやいていた。外見はちょうど血合いの部分が露出したカツブシで、性状は老舗メーカーのお高価い羊羹といったあたり。
 おぼろげな記憶のなかには同い年のイトコたちの姿もあり、一体どういう味がする食べ物かという興味が半分、人死にまつわる拭い難い忌避感がもう半分、わたしたちは薄くスライスされたそれに楊枝を刺し、おそるおそる口へ運ぶのだった。
 ひと噛みごとに肉が弾ける。強い旨味を含んだ汁気がほとばしり、舌を灼いた。見た目よりよほどジューシーなのだと知った。いやらしさのない酸と塩気が旨味のあとを追い、いかなる調味をも必要としないのは果実にも似る。
 そして最後には、ああ、あのガムシロップをぶち込んだジャスミンティーのような後味が、すべてを包み込んだのだった。
 老いきって死んだ者の墓石はたいてい、甘くなる。ことを知るのは、後年のことになる。

 わたしはまあ、機会があればご相伴に預かりますという感じで、好きは好きでもたまのご馳走を貴重に楽しみたいね、という程度だった。
 イトコたちはその点、筋金入りである。
 去年のことだったか、高校に進学してしばらく経ったわたしに、ひとつのURLが送られてくる。イトコたちが共同で筆を執ったという、墓石のグルメレポートサイトだった。
『すご いつからやってんの』とわたしはチャットメッセージを送る。
『内容はずっと書き溜めてたんだけど、アドレス取るのに自分のカード必要でしょ』とイトコ1。
『なるほど〜 そういや高専だったね君ら』
『ヌーくんは、今まで食べたお墓でいちばん良かったのって?』とイトコ2。
 ヌーくんとは、わたしのことだ。核と書いてカナメと読ませる出生名ではあるのだが、ニュークリア由来の有り難いあだ名を頂戴し、またそれはわたしの気に入っている。
 この質問への回答には、かなりの時間を費やしたはずだ。
『悩ましいね』墓石は原料による味のばらつきが激しいからだ。ばらつきというか、そもそも味わいのジャンルが変わることも多い。『甘いのは食傷気味かも』老人ばかりが死ぬ、これは自明。『意外と、年代ものとか』通常、歳った墓は薄味になるものだが、百年もすれば墓石は精気を失って干乾びた果肉を持ち、それがかえってチーズのような凝縮された風味を呈することもある。
『サムライだった人ね』とイトコ1。『あれもいいよね 殺人者特有のトゲトゲしい味が年季で角が取れつつ再度濃縮されたレーズン、ジンジャーの辛味、メタリックな黴香、武士らしく切れのある後味』
 滔々と、とはこのことかと思う。
『最近は、若くてスパイシーなやつがいいかな』とわたし。
 不幸な死に方は辛い味になる。甘さに多様性は乏しいが、不幸は千差万別であって楽しみ甲斐がある。
 メッセージは既読のまま、次の返信までには一晩が経った。
『ああ、それなら』とイトコ2。『来年あたり、いいのが収穫できるよ』とイトコ1。
 わたしは、軽率な発言だったかと思い直し、
『ごめんなさい』
 との文言を打ち込み、やはり送信の前に消して、少し考え、新しい文面をつくる。
『たのしみだね』


   2

 イトコたちの運営するページには、俗名と戒名を伏せたわれらが一族郎党の享年とその食味――五味、フレーバー、テクスチャ、後味――が簡潔にまとめられている。
 レヴューのラインナップはもはや、わが一族のものにとどまらない。
 昔の恩師、幼稚園の園長だった人物、自分たちを取り上げたという老産婆、バイク事故で合い挽き肉になった同窓生のカップル、実験動物の慰霊碑、河川敷に置かれた無縁仏、遠縁の戦国武将なんてものもある。いかなる手管で墓石を別けてもらったのか、わたしは彼人らのアクティブさと執念に感心するばかりだった。最後のものに関しては、そういうイベントが地域おこしの一環として各地で催されているという。これも奇妙な話ではある。

 なぜというに、食用墓石の風習はそう古いものではないからだ。黒船来航以降、蘭学にとどまらない西洋の知識は奔流となって本邦に注ぎ込まれるのだったが、その中には神術呪術の類も混入する。とある狂ったネクロマンサーが、火葬の根付いたこの国の土を踏んだとき、土葬文化が前提される自身の術を、さらなる高みへと押し上げるこれは得難い機会であると奮い立った、かどうかは知られていないが、ともかくも、この風習のはじまりとは、気休めでも彼岸と此岸のコンタクトを助けるような数ある術のひとつであった。ナマの死体をベースに動死体をつくり出す西洋の術;ネクロマンシーは、枯れた骨をベースに肉を成長させる土着術;反魂法との出会いを経て、朽ちぬ石と焼かれた骨を媒介に生きた何か(としか言えない)を喚び寄せる術として成功し、瞬く間に広まった。

 はじめのうちは、樹木葬を代表格とする死者の成長という逆説をこの世に顕現させ、まだ生きている人間と歩みをともにとかなんとかその手の安息を与える、あくまで宗教技術としての成功だった。が、そこへまた新たなる狂人が登場し、「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍」を実現してしまう。
 腐った果実を食べてみて酒が、腐った乳を食べてみてチーズが、腐った大豆を食べてみてナットウが、偉大なる狂人たちの飛躍その蓄積その到達点こそが、現生人類の食文化であるとはイトコ1の謂である。
 ちなみに食用墓石は発酵食品にあたり、特にアメリカへの輸出は厳しく制限されている。ミイラが発酵食品かどうか、わたしは知らない。

 読経はとうに終わり、通された寺の冷えた控え室にぞろぞろと居並ぶ親戚たちの中に、イトコたちを見つけ出す。
「それで、マサムネ公のお墓は何味だったの」とわたしはずいぶん前のやり取りの続きみたいに声をかける。イトコたちはすぐにわたしの両脇を固める。
「最悪。水みたいな味だった、らしい﹅﹅﹅」とイトコ1。
「あれ多分毎年新しく作ってるんだよ」とイトコ2。
「ボジョレー・ヌーヴォーみたいな」とわたし。
「そうそう。ま、観光客向けのしょうもないイベントだよね」イトコ2。
「ボジョレーはけっこう好きだったなあたし」とイトコ1。
「おいおい」
「供え物のお酒とお墓のマリアージュは基本だからね」と2。
「うん、それで慣れちゃったね」と1。
「ほどほどにしときなよ……」
 すると、襖が開き、祖母がのしのしと歩み寄る。主役登場といったふうで、漆塗りのお盆を手にする大刀自おおとじどのに、衆が道をあける。親戚たちがほとんどひれ伏すようなのは、祖母が実質上の長であるのと、空いた手には墓刈りの大鉈が握られているからでもある。わたしたちはおとなしくつばを飲み込んでいるばかりだ。
「モジャ子の子どもじゃもじゃ」祖母がひどく聞き取りづらい発音で言う。「もじゃもじゃ、これはお前じゃのものじゃ。先に食らえもじゃ」
 わたしと気安く接するときにはわりあいに毒々しい性格のイトコらだったが、祖母の前では努めてかわいい初孫の顔をする。「もじゃー!」「もじゃもじゃー!」
 たぶん、そういう才能が、縁遠いひとの墓石をおすそ分けしてもらう役に立つのだろう。
 すこし、羨ましいな。

 イトコ1がさっそく、切り出されたばかりの墓石にかぶりついた。ひどく真面目な面持ちで咀嚼する1に、まだ感想は無いようだった。
 イトコ2は墓石を頬張った瞬間、くぐもった叫びを上げる。そこにはなぜかクエスチョンマークもついている。
「お味は如何」予期していなかった反応に、わたしはその真意を尋ねる。
 彼人は、わたしごしに、姉(イトコ1)の肩をばしばしと叩き、そしてわたしの眼を見て言った。
「うまいはうまいもじゃが、」イトコ2は言いよどむふうだった。「甘いね、これ」


   3

 その墓石の主は、先述のとおり、イトコたちの母である。
 少なくともイトコ2が舌鼓を打ったその味わいのうち、少なくない割合を、このわたしによる加担が占めている、はずだったのだが。

 二年前に彼女が死んだときのことはよく覚えている。正式な訃報が届く前に、イトコ2がメッセージを寄越したのだった。
『やっと死んでくれたよ〜😇』

 そのまた少し前、わたしは死の床についた叔母の病室にあった。
 わたしはかねてよりイトコたちのことを憎からず想っていたので、わりあいに何でも安請け合いした。死出の旅に赴く母を、なるべく苦しませてやってほしいとの旨、拝命した次第であった。

 一目でそれとわかる程度にはやせ衰え、死相の浮かぶ叔母は実際、血液検査でも死体と同じ数字を叩き出してもう一両日中に、とは医師による宣告であった。にもかかわらず、叔母は穏やかかつ溌剌としており、つまりは平時のとおりよく通る声で言った。
「カナメも、墓石好きだったっけ」
 わたしは頷いた。
「うちの子らはほら、マニアでしょ。私の食味をあんたがたが品評すんのを想うと、心安らぐね、わりあいに」
 いい台詞だな、と思った。が、わたしはこの人をめいいっぱい傷つけるという至上命令を携えてここにある。
 わたしにとりこの叔母は、親戚のなかでも若い部類の、おしゃれで都会慣れした気持ちのいい人物であった。金遣いが荒いという話も漏れ聞こえてはいたが、悪評もその程度で、この人があってこそ明るく楽しいイトコたちが成ったのだと思えば納得もした。どうせ死にゆく人をわざわざ苦しめる必要がどこにあるのか、わたしはイトコらに尋ねはしない。愛のなせるあれである。
 そして苦労のすえ、わたしは宙空から言葉を掴みとる。
「墓石なんかでいいの」これは問いだ。
「どういうこと」
「これは内緒なんだけど」わたしは天井のパネルを見上げ、たっぷりタメをつくる。「じつは今、ネクロマンシーの手ほどき受けてる。אמת子とמת子の食べ歩きに付き合ってたら、先生と知り合って」
「うん。それで」叔母の瞳が、期待に輝いた。
「今までどおりとはいかないだろうけど、それでよかったら、先生を紹介するよ」
 叔母はにゅっと飛び出た眼玉に覆いをして、しばらく口をぱくぱく動かしたのち、悲鳴じみた喜悦の声を上げた。
「嘘でしょやったー! やったー! おかしいと思ってたんだよー。この私が、若くてまだまだ綺麗な私が、こんなにあっけなく死ぬだけだなんて。あり得ないね。ははははは、そうだよね、これくらいの幸運があるくらいじゃないと、ぜんぜん差し引きが合わない!」
 その通りだな、と思った。
 そろそろだな、と思った。
 よし。
「というのは、嘘でした。ごめんね」
 あとはもう、叔母のがなり立てる不明瞭な呪詛を背で受けつつ、病室を出るだけで済む。

 後ろ手に扉を戻し、呪いの文句と半死人を閉じ込める。出たところの両隣に、それぞれイトコたちが腕を組む姿勢で待ち構えていた。
「グッジョブでした」と中学生のイトコ2。
「どういたしまして?」と中学生のわたし。
「それに、あながち嘘でもなかったね」とイトコ1。
 初耳だった。
「ネクロマンサーの弟子なの、あたし」とイトコ2。
「そして、あたしは動死体なんだよね」とイトコ1。
 初耳だった。
「いつの間に死んでたの、אמת子は」
 イトコ1は肩をすくめ、イトコ2はくすくすと笑って、言った。
「この子はきれいに自殺してくれたから、ビギナー向けだったね」


   4

 そして二年が経ち、叔母の墓石は甘かった。
 人工甘味料みたいな甘さと、やはり馥郁たるジャスミンの香りが強い。
 それが血族としての類似であるならば、わたしの収まる墓もまた茉莉花の香りを纏うのだろうか。
 部屋を抜け出し、炎天下の墓地を三人で散歩しながら、そのようなことを問うでもなく言ってみると、イトコ2が解説をしてくれる。
「ネクロマンシーも、食用墓石の術も、どっちもボタニカル系のワザなんだよね。ただで質量は手に入らないし、光合成呪法のひとつで。で、だから墓石のフレーバーもコーヒーとかハーブとかになりやすいの」
 勉強になるなあ、と思った。「夏が旬なのも、そういうこと?」
「そうそう。ボンの時期だからって御霊とか関係ないよ。あ、虫とかも食わすけどね。ほら、いかにもなとこなのに、ぜんぜん蚊いないでしょ」
 なるほどなあ、と思った。
 しばらくの沈黙が続く。わたしの目は、どうしてもイトコ1を追ってしまう。ぜんぜん、普通に見えるけど、「今更なんだけど、本当に死体なの」
「何だよ、近いよ。そうだよ」とイトコ1。「新しく経験する味とかも、いまいちわかんないし、」
 少し先を歩く彼人のうなじが近い。そのままもう少し近づいて、死臭などしないものかと嗅いでもみる。
「いや、何か匂い、するね」わたしは言う。
「ちょっと、はずいよ」とイトコ1が笑う。
 微かに、確かに、ジャスミンの香りが立つのだった。

「やっぱり、人の心はわからないものだなあ」わたしは文脈を断ち切り、味の感想を口にする。
「まあ、いいよ。美味しかったし」と言うイトコ2はしかし、ひどく苦々しい顔をつくる。
「ところで、われわれは何処いずこへ」とわたし。
「お墓」とイトコ2。
「あたしのね」と1。
「密かに死んで、しかも遺骸はないのでは」と当然の疑問を口にする。
 イトコ1はつかつかと進み、トミカとシルバニアで覆われた水子供養の廟の裏手に廻り、指をさす。苔むす最中に、つるりとした白灰色の小さな墓石がひくひくと痙攣して、これは羽虫を獲っているところだろうか。「あー、脳とか心臓とかは別のものと取り替えちゃうから……勿体ないからね」とイトコ2が解説をする。「だからあたしは抜け殻ってわけ」イトコ1はなぜか誇らしげに言い、ついで「冬虫夏草?」と首を傾げて自問する。
 イトコ2は懐からでかいカッターナイフを取って、ぎちぎちと刃を繰り出した。もちろん墓の切片を得るためだ。祀る宛先のない墓の前でしゃがみ込み、まだ柔いかな〜などとぶつくさ呟くイトコ2を、立ったままのイトコ1が気恥ずかしそうに眺めている。
「お線香でも、あげようか」わたしは思いつきを言ってみる。
「ええ、意味わかんないし」とイトコ1は突っ慳貪に言った。
「ヌーくんさ、ほんとに旅行、ついてこない?」イトコ2は墓の石殻と格闘しながら言う。
「やっぱり、食べ歩き?」
「そらそうよ。行きたいとこ沢山あるの。まず、戦没慰霊碑でしょ、ヤスクニでしょ、ヨシノブ公でしょ、」
「観光地ばっかだ」
「それと、エジプト。ギザのピラミッドも最近、食用化したみたいで外せないし。あと、テーベ、エルサレム、バチカン、タージ・マハル、あとあとパリのカタコンベとかはまだだからさ。これからもっと修行して、いろんなお墓を食用化するのが、目下の野望」
「時間かかりそう」
「そらそうよ。で、うんと長生きして、そうこうしてるうちに、みんなが死ぬのを待ってるの」蝉がいちばんうるさい時間、墓石にもデカブツ相手は荷が勝ちすぎるようだった。その琥珀色の抜け殻がいくつもいくつも、ポップコーンの食べ残しみたいに、濃緑の苔絨毯じゅうに散らばっていた。「地球が馬鹿でっかい、ひとつのお墓になるまでね」
 はい、とイトコ2はスライスされたばかりの墓を、わたしの手に載せる。ちょっとこわい感じがして迷い、ふと眼を上げると、イトコ1がばちんと音の出るようなウインクをくれる。
 わたしは意を決して、赤黒い細片を噛みしめる。
 辛くて、不味くて、あまりに辛くて、咄嗟に吐き出した墓石は、これがはじめてだった。