トリプレックス

巨大健造


 駅前の芝生で鉄球を二人して投げあっていたとき、サヴォじまが避けそこなってとっさに球を抱きかかえたとき、頭ほどもある中空の鉄塊の煮えた地肌と血液じみた匂いを感じたそのときが、最初の違和感だったはずだが、結局のところ先にねたばらしをしたのはメヌ村だった。
 濃紺の布夜がふくらんだ天頂ちかく、気づいていたかとメヌ村が訊ね、サヴォ島が否定する。もうだいぶ長いこと一緒にいるようで、たしかに言われてみれば耳の裏側・首筋の臭腺からはわずかにかすかに違う匂いがするのだった。何と較べてか、サヴォ島にはもうよくわからないでいる。
「交代制なんだ」とサヴォ島。
「まあ、おおむね」とメヌ村。
「みんな同じ家で寝起きしているんだ」
「そうね。ご飯は一緒に食べてるかな」
「それぞれ主従とかって、あるのかな」
「どうかな。ずっとこうだったから。なあ、大丈夫かよ?」
「いや、うん。少し、面食らっただけ。結局、君は誰なの」
「愚問」と言ってメヌ村は笑い、サヴォ島の歯舌腕を撫でると、またしばらくの間を笑い続けた。
 よく日記を読ませてもらったことを、サヴォ島は思い出す。彼人の体調心調に付随するはずの筆跡のぶれがしかし、それ以上の理由によるものだとは考えたこともなかった。二つ隣の駅に帰るメヌ村は、別れ際に、「ちなみにこの私はあれだ、ピラミッドで天狗捕まえたときの」と言って、また笑う。百年近く黙っていた重大事は、彼人にとってはただ会話のスパイスであるだけなのかもしれない、数えきれない夜を数えつつ、腰や肩の骨の出っ張り、表皮のざらつき、疣や黒子の位置を思い出そうとサヴォ島は試みて果たせない。駅前デッキに通じる階段は灰色のタイルが摩滅しつつあり、事もなげに段を四足でつつつと登りつめる後ろ姿は、太陽の方角へと貪欲に石灰岩塊を駆け上がる彼人を思い出させて、そういえばあの時に捕えた天狗が乾いてそこからもげ落ちた黄色い嘴のことを日記で読んだことがあったと思い出す。
 変転と不滅のはざまに分担がある。
 珍しくもサヴォ島がメヌ村の家を訪うと、よく知る顔が出迎えてしかしこれは誰かとやはり思う。数日間を一過性のショックでうなされていたサヴォ島は、とうとう無益な煩悶をやめ、これで何かが変わるなら変わればよいとの覚悟を持ってメヌ村(たち)に訪問の打診をした。「それもいいな」との快諾に拍子抜けした彼人は、手土産を三つ携えてくることを忘れない。六人がけのテーブルその片側にメヌ村たちが着座し、対岸の中央席でサヴォ島が照応体の小球を三組、差し出した。「シヴァ犬の眼玉?」と左側の一人。「気が効いてるね」と右側の一人。「第七仙師の市で、安かった」とサヴォ島がうなずく。「でも、どうかな」と中央の。「というと?」「三つに視える、同一物体か。でも、私たちはそういうものじゃない」たっぷり十秒が続くあいだに、窓側のメヌ村が窓を開ける。キッチン側のメヌ村が茶器を取りに行く。
 わけのわからぬ風が吹きこみ、泥茶の大地じみた芳香が薄く伸びひろがった。
「で、ご感想は」と席に居残るメヌ村は、うっすらと口角を上げて訊く。
「修羅場?」とおどけた口調でサヴォ島。
「まさか。記憶の共有はあくまでテキストベースだし、お互いに言わないでいることもあるとは思うが」
「けんかになったりは」とサヴォ島は語尾を上げる。
「ちびっ子の頃はまあ、それなりに」メヌ村はどこから取り出したのか、小さな皺くちゃの手帳その古層を捲っている。「ふむ、『捻転地殻麓ねんてんちかくれいの売店で風化したボトルメールを拾う。古名ではあるが、よく知る街の名があり、面食らう。古代逢瀬の記憶感想惚気といった愚にもつかない内容を彼人に読み上げてもらったというのも、』憶えているか?」と読み上げを中断してメヌ村。サヴォ島は首を振る。「これは三十年くらい前か?『ふだん私たちが記憶を均す方法に近すぎ危険を感じたからだった。古人の浮ついたお話が、この私にだけ記銘されては多少重苦しい』」
「はいはい!」と席に戻っていたメヌ村(どちら側かから来て、右側のもの)が挙手をする。「私が書いたものだ、それ」
「いやどうか」と席に戻っていたメヌ村(どちら側かから来て、左側のもの)が指摘をする。「いや、別にどうでもいい」
「懐かしい。昔はこうして体験の私有を争ったような気もするが」と中央のメヌ村。「思い出してきた?」
 そしてサヴォ島は鮮やかに思い出す、「そうだ。『いつどんな時に逢っても、きっとずっと好きだ。あと、駅前の川べで手折った、あの名前のわからない赤紫色の実の名前を、調べておいたので、書いておきます』下層ほど新しい出土品たち、潮風からまんべんなく吸湿していく歴史の露頭からぱらぱらと屑が降るのを眺めつつ飲んだのはレモネードだっけ?」
「「「さあね?」」」と、メヌ村は声を揃え、茶を啜り、各々に割り当てられた小球を手に取った。ほぼ同時に、右が嚥下し、左が嚥下した。サヴォ島の対面になる人物は、どこから取り出したのか鉄球を両手で持ち上げ、照応眼球を打ち据える。破裂音がして、両翼のメヌ村が胸を抑えて少し、うめく。