学校があったとき

巨大健造 

学校があった。
 その学校は辺境に位置しており、遠くても最近傍の星系を最終経由地としてはるか彼方でいくらかその形を変えてしまった同胞たちの知識を数世紀から数十世紀おくれで受け取っていた。
 学究ははやらない。船の積荷としてもたらされる託宣を、ただ口を開け待っていたほうがはやいからだ。
 それでもあの子は行った。豊穣への期待以外は何も要らないデータ運搬船に乗り込み、帰路につく頃には超高密度の情報と莫大な空虚を伴っている。帰り着いた学校は変わっていない。変わる理由はない。老いた航海者にあの子の面影を認めた最長老の先生が自嘲気味に笑いかける。「今回も超光速はなしか」
 あの子は悪者になることを決意する。


学校があった。
 その学校はどの街にあるのとも同じように、在籍制限はなく長命者たちの春を限りなく希釈するのみであった。
 指導要領には誰も構わない。無際限に重ねられた時間は残酷なまでに進度の差を開く。
 それでもあの子は優しくしてくれた。文字を忘れ音を忘れ数を忘れ歌を忘れて取り戻すのにもあと何十年かかるか知れないわたしたちを迎えてともに歌をうたってくれた。なぜと訊いてみた。いわく、「先は長いから」だと言う。


学校があった。
 その学校は光届かぬ深海に位置しており、そこで生徒は生徒であると同時に虜囚でもあった。
 房でもある教室には高水圧がなだれ込んだ。看守でもある先生は肉鰭の付け根で光を泡立て乾いた陸の知識を伝えた。対して生徒たちは眠たげに鰓蓋を揺らし、視線を落としてなにか口に入るものはないかと執念深く探って這い回る。
 それでもあの子は上を見た。はるかな海面を想像して降るプランクトンを雪に星に見紛うこともあった。前を向くことは難しい。先生の授業は眩しすぎて目蓋を開けていられなかったからだ。


学校があった。
 その学校は木星軌道塔に校舎を置き、渦巻く斑紋と深淵を背にした何もない宙域を教室とした。ひとり白い宇宙服に身を包み不器用に遊泳する人物、先生は生徒たちに比べれば豆粒のように小さい。あるいは、生徒たちは先生と比べれば巨人のようであり、事実巨人であり、人であると同時に建機でもあった。本星による木星解体事業への従業を運命づけられた生徒たちはそこで産まれ、そこで育ち、真空適応した備品でもある自身の、高重力から無重力までの精密な制御法を学んだ。
 無知性型の作業機械ははやらない。卒業生たちとは違って責任能力がないからだと、先生は言う。
 それでもあの子は咆えた。あなたに教えられたとおりに責任が、意志がある、あるだろうものとして育てられたのだから、こうして、こう。そしてあの子はわたしたちのかわいい先生を鷲掴みにして飛び立つと、星系の全域が校庭であると宣言する。続くわたしたち。


学校があった。
 その学校は生活雑音としか思えない電磁波の大合唱を伴って飛来し、やがて星系の内帯で静止した。日夜を問わない親たちの解読と説得と接待があり、遺書を書かせた交換留学生の一団を派遣することになった。
 それでもあの子はただひとり母星へと帰り着き、出発前よりいくらか大きくなった肺いっぱいに懐かしい匂いを吸い込んで、重力井戸の底で濃密な大気を震わせ報告その他をした。
 ♪
めだかの 学校は 川のなか(彼らは銀河系じょうぎ腕から来たという)
そっとのぞいて みてごらん(サナダムシとほぼ同様の生態で腕がある)
そっとのぞいて みてごらん(技術は五千年ほど先行しているようだが)
みんなでおゆうぎしているよ(腸を貸し与えてやったがみな悶え死んだ)
めだかの 学校の めだかたち(とにかく生徒たちは遊戯に飢えていた)
だれが生徒か先生か (地球星で最高のゲーム、 囲碁と M: TG を教えた)
だれが生徒か先生か(bxk 輪で最高のゲーム、大輪廻旅胞子を教わった)
みんなで元気にあそんでる(というわけでこの星はわたしたちのものだ)
……※


学校があった。
 その学校は無数に存在し、それぞれの生徒たちから分かたれた無数の分岐識はめいめいの教室へと登校し下校し帰り着いた夜には折り重なる夢のなかで甘い統合を得た。
 それでもあの子は眠らない。眠らないですべてを複数に開いたままに朝が来るまでの数多い時間にあっては何もかもを書き留めた。
学校があった。
学校があった。
学校があった。


学校があった。
 その学校はひとの生まれる以前、子宮にあるより前に開校し、留保つきで存在を認められている魂たちに教育を施していた。
 そこで生徒たちは魂で学び魂で遊び魂で虐め魂で恋し魂で食べ魂で歌い魂で走り魂で勝ち魂で敗け魂で改め魂で怒り魂で謝り魂で泣き魂で笑い魂で再会を誓いあった。
 それでもあの子は来なかった。脳が怖いと言って卒業式を欠席し、別れが近づく魂の友が訪ねれば時間が怖いと言って閉じ籠る。魂の機能に記憶することの悲惨はなくこれは夢のようなものであるのだからあらゆる痕跡は虚実のあわいに溶け込み誓いは誓いとしての用を成さずつまりは何もかも意味がわからないとも言って、そしてわたしたちは産道を抜けていくらかが経つ誓わなかった再会の日、魂のないあの子を発見するに至る。


学校があった。
 その学校は墓所にあった。卒業を迎えなかった生徒たちの内骨格や外骨格が堆積し、堆積した遺骸が層を成して捻転し、また露出していた。
 どの骨片にも名前が授業の記録が落書きが刻まれていた。生徒たちは重なる骨を踏みしだき、配布される骨に涎を垂らし、拾った骨を被って遊ぶ。
 それでもあの子は備えるのだった。集めた骨片から読み取った名前で自らの外殻を埋め尽くし、次の大量絶滅まで猶予はないと喧伝して回った。


学校があった。
 その学校の位置する星に主人たちの姿はすでになく、生徒たちは顔も見たことのない主人たちが大いなる旅路を終えて戻る日、ふたたび仕える光栄に浴するため日夜の別なく励むのだった。
 直接の任を拝したこともある先生が主人の役目を担う、できのよい生徒は卒業してのちに主人の役割を演じる。主人不在の間にも能力を研鑽するのが従僕の努めであるからだ。主人の真似をするうち自身が本物の主人であると思い込むものがいた。古い主人とは違って見捨てるようなことはすまいと決意するものがいた。新しい主人は完全であると考えるものがいた。主人は完全であるゆえにわれらを見捨てたのだと主張するものがいた。
 それでもあの子は待った。ただ待った。主人が戻ることをではなく、主人がかつてあったことを示す痕跡の一切がいつの日か消え失せることを。


学校があった。
 その学校は宇宙のほぼ全域を覆っていた。そこでは万物が先生で、万人が生徒であった。
 教科書ははやらない。聞けばよい。
「お前はなんだ?」「私はペトリコール。雨と石の話をしてやろう」
 つまりもう何も心配することはない。一番くだらない質問さえしなければ世界は開かれたままだ。
 それでもあの子は聞いた。自分のことを聞いた。芋に質問し、犬を詰問し、火に尋問し、星を拷問し、とうとう答えが得られないものと観念した挙句に最後、自分自身を先生として質疑を始めてからすぐのことだった、取り返しのつかないことになったのは。


学校があった。
 その学校は薄められた歴史の終わりにあっては底のない虚空から泡のように生まれ、沫のように消えた。
 机と人を並べた昼下りの気疎い時間だった。
 よく晴れた空は果てしなく澄み渡っていた。
 窓からは温度感のない風が吹き寄せていた。
 知らない名前の芳香が教室を充たしていた。
 校庭ではすべての球技が撤収を待っていた。
 次の瞬間の累積はやがて外に至るだろうか。
 それでもあの子は知っていた。十分な時間さえあれば学校は揺らぎに成るだろう、また学校は生徒の脳を誘導するだろう。無数の学校が過去の記憶を伴い偶然に生じたとして、ここが記憶のとおりの経緯をもった学校である可能性は無にも等しいであろう。そうした学校の外には億光年の空無が取り巻きまたもとの闇に解けるまであと何秒かかるの、ねえ答えて先生。


もう学校はない。
 あの子の確かにいた痕跡を探して歩く。
 枯れた積荷に縋りつく老人はあの子ではない。
 何度めかの歌を覚えた長命もあの子ではない。
 地上の風光に馴れた前科者もあの子ではない。
 巨建人の街を拓いた指導者もあの子ではない。
 大輪廻旅胞子の最終勝利者もあの子ではない。
 別の子のために閉じた勇者もあの子ではない。
 ほほえむ嘘のソウルメイトもあの子ではない。
 新しい破滅の日に踊る骨身もあの子ではない。
 消えた主人を訪ねる探求者もあの子ではない。
 全てを知ってしまった愚者もあの子ではない。
 晴れてどこへも行ける大人だってあの子ではありえない。

それでもどうか、また会う日まで。



※「めだかの学校」茶木滋 作詞、中田喜直 作曲 一部抜粋